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New Visions of Body, World, and Universe / 新しい身体観・世界観・宇宙観

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宇宙の微小重力環境において、二人以上の人間が同じ空間に存在する場合には、脳は脳が存在する頭部を身体の「」と考えるため同一空間に複数の「上」が存在し、知覚上の混乱が生じる。そのため、他者との正常なコミュニケーションを望む場合には、何らかの姿勢支援ツールにより二人以上の人間の身体の向きを修正し、お互いが正面から対面できるように調整する必要がある。姿勢支援ツールによりこれまでにない特別な「姿勢」を構築できれば、両者の間に一般的な対話をこえたさらに親密なコミュニケーションを成立させることができるかも知れない。

また、長期の宇宙滞在者或いは宇宙永住者を対象とする場合には、脳の改造を含めた根本的な身体改造が計画される可能性がある。現在の人間の脳は、地上の重力環境における進化史のなかで形成された器官であり、床・壁・天井の区別のある空間で正常に機能する。しかし、微小重力環境において、床・壁・天井の区別のない空間に一定期間人間を滞在させるとどうなるか? 脳科学や心理学の観点からは、脳が眠り出すか発狂するかも知れないことが予想されているが、ここでは環境への適応原則や姿勢支援ツールの使用により、睡眠も発狂もせずに機能する新しい脳が誕生する可能性も考えられる。その場合には、同一空間に複数の「上」が存在しても、新しい脳が内部で情報を組み替えることで知覚上の混乱はなく、コミュニケーションもそれぞれバラバラな方向を向いたまま実現されることになる。

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こうして、微小重力環境における身体問題を考えるだけでも、姿勢支援ツールを含めた身体に直接の影響を与える人工物を宇宙にどのように持ち込むべきか、テクノロジーをどのような許容範囲で使用すべきか、その差が将来的に非常に大きくなることが予想されるため、それらの判断は進化の観点からもきわめて重要なものになる。 そして、その場合にも、短期宇宙滞在を目的とする宇宙旅行者が対象の場合と、長期の宇宙滞在者或いは宇宙永住者が対象の場合とでは、判断はおおきく別れることになる。さらに、後者の場合でも、どんな活動意図を想定しそのためにどんな身体デザインを構想するのかにより、必要なテクノロジーは異なってくる。

たとえば、われわれは、人間としていつまでも二手二足を維持したいのか? 四手の人間になってもいいのか? また、脳の改造も含め、身体改造も必要であれば何でも実行するのか。つまり、われわれは宇宙環境において、テクノロジーを身体に行使しない方向を選択するのか、或いは逆に有効と思われる一切のテクノロジーを行使するのか。自然か、人工か? これは、かつて地上において問われたように、宇宙環境においてもあらためて問われる非常に重要な問いになる。むろん、その選択は個々の人間の自由な判断に委ねるべきである。しかし、どちらの方法を選択するとしても、そこには明確な判断基準が求められることになる。

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こうして、人類が宇宙開発を発展させ、しかも単なる地球文化の延長ではないあらたな宇宙文化の創造を志向する場合には、われわれはこれまで考えたこともないような奇妙な問題群に遭遇することになる。そこでは、まったく新しい身体観・世界観・宇宙観が求められることは明らかである。たとえば、現在のわれわれが地球的感覚をもって人類として二手二足を維持したいのか、四手の人間はどうかと問うてみても、質問自体のリアリティがわからない。しかし、宇宙開発の現場においては、椅子一つのデザインの決定が将来の身体形状の変化に影響を及ぼすのであれば、地上とは事情が大きく異なってくる。

このように、宇宙開発においては、それがどれほど荒唐無稽なテーマに見えようとも、現在の決定が人間の未来に影響を及ぼす可能性があるテーマの場合には、時期早尚として考える必要がないのではなく、まさに現在、人間の叡智を総動員して取り組むべきテーマであるということになる。たとえば、脳科学者・養老孟司の「脳の3倍化」のテーマも、われわれの地球的感覚では荒唐無稽であっても、宇宙においては先見の明に満ちた有力な提案として採用される可能性がある。奥野卓司(関西学院大学教授)は『人間・動物・機械』(角川oneテーマ21 2002年)において、このような可能性にも触れながら、「脳が何らかのインターフェースを使って、仮に人工脳とでも言うべきものに置き換えられたとき、そこで考えられたことはその人間の思考と言えるのだろうか?」と述べている。

脳と人工脳の関係が現在のわれわれには理解できない以上、われわれは奥野の問いに答えることができない。何を言われているか自体を理解できないからである。しかし、問題なのは、理解できないにも関わらず、つまりわれわれのリアリティをもっては対応できない事態であるにもかかわらず、技術は先行して人工脳をつくりだすであろうということである。これがわれわれが体験した歴史上の技術の本質であり、地上においては技術は人間を待っていてはくれなかった。しかし、だからこそ、宇宙においては同様の目に会わないために、技術に先行されない状態を、人間の生存の意図と技術が調和的に機能し合う状態をつくりだしていく必要があるのである。或いは、どんな技術が登場しても、それに後追いではない能動的な対処の仕方を用意しておく必要があるのである。

Why the humans chose the bipedalism? / ヒトはなぜ二足歩行を選択したのか?

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動物の脳と人間の脳を比較した場合、何らかの根本的な変化が起きているのだろうか? サカナから両生類へ、両生類からサルへ、サルから人間へという、生物の進化の歴史をふりかえって見ると、それぞれの生物にはその生物の生存にとって必要な固有な「姿勢」というものがあり、人間にも人間として存在し生活する為に必要な二足歩行を基本とする「姿勢」とそれに基づく生活文化があることがわかる。人間の場合、二足歩行により前足が解放されて「」になり、垂直に立つことから「」が活性化されて肥大し、過剰になった脳のエネルギーが「手」に伝えられて手仕事から「道具」を生み出し、そこから「言語」が生まれ、道具と言語の使用により「文化」を築きはじめた、と言われている。確かに、人間にとって二足歩行とは、重力との格闘の果てに獲得した貴重な財産であり、生物の進化史においては奇蹟に近い「姿勢」の実現だったのである。

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こうして、生物の進化の段階を決定しているのはこのような意味での「姿勢」であると言え、「姿勢」は生物の生存の仕方を特徴づける基本的要因の一つであると言える。そして、われわれは、二足歩行という人間の「姿勢」も不変のものではなく、環境の変化によって変化する空間の関数であると考え、人間はいま情報化社会のなかにあって、或いはまた生命科学やロボット工学によるあらたな人工身体の創造とあらたな宇宙時代を迎えるにあたって、環境の大きな変化に直面しており、その為それらに対応するあらたな「姿勢」の創造とその表現を求められている、と考えている。

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生物の進化史を「姿勢の進化史」として捉え直すわれわれの観点からは、最初の両生類、つまり最初に地上に登場した魚として有名なイクティオステガや、肺魚、および最後の魚と考えられているユーステノプテロンが特に興味深い。ユーステノプテロンは川底にあって、急流に流されまいとして耐えるために胸ビレを砂地に入れていたそうで、そこから胸ビレが鍛えられ前足に変化したそうである。そして、イクティオステガはさらにこれらの足に関節を獲得することで歩行を可能にする4本足を獲得し、陸上生活を可能にするための肺呼吸を獲得したそうである。川から地面に最初の一歩を記録したイクティオステガの経験とは、どのようなものだったのか? 

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また、コミュニケーションの視点からは人間にもっとも近いサルと言われるボノボの場合、腰にそれまでのサルにはない2本の筋を獲得することで、二足歩行をさらに洗練させたそうである。ボノボは、サルの仲間でもコミュニケーションにもっとも積極的な種であると言われ、つねに他のボノボと身体的接触を行い、前足にモノを持ち、それを恋人に運ぶための一番有利な「姿勢」として二足歩行をより完全なものにしたと言われている。二足歩行の恐怖、或いは至福にふるえるボノボや最初の人間の経験とは、どのようなものだったのか?