Part 2; Beyond Me / Sex – 20 years old Kaori
/ 第二話; 私を超える / 性~20歳のカオリ
第1章 エスカレートする刺激
第2章 風俗の楽しみと悲哀
第3章 AV女優
第4章 出家
第5章 ボノボのように
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第1章 エスカレートする刺激
1
帰国後、私は1年間の休学扱いで松戸の中学校に戻った。
まだ15才。もう一度中学2年生のやり直し。ベイルートの医者から謝礼として送金してもらった2,000万円はお母さんに預けたまま。私には使い道がない。予想通り、お母さんはその金額の多さに驚いていた。通帳を見た時「あら? ゼロを一桁間違えた?」と思ったそうだ。「アメリカの学者の研究に必要だったモデルを務めたの。その謝礼よ。その研究所にはすごい利益が入ったので、ちょうどいい金額らしい」とヒロシに聞いた話しを適当にお母さんに話した。お母さんは「でも、何であなたがそんなモデルに選ばれたの?」と不思議がっていたけど、それ以上は追及しなかった。私は、将来役立つかも知れないからそれまで預かっておいてねと頼んだ。お母さんは「わかりました」と言って、この話しはそれで終わった。
毎日、授業や友達付き合いは面白くなかったので、ひたすら読書三昧。浩介や健太やその他の顔を知っている関係とは廊下ですれ違っても、無言を通した。彼らの方も私の評判が悪いので恐れて知らないふりをした。私がケンカがつよいのでいじめの対象にもならなかった。彼らは私を無視し、居ない者として扱った。私もそれで満足だった。
授業中もよく隠れ読みをしていた。その方法も上達した。家でもひたすら読んだ。読むのは歴史と恋愛と骨相学と食の関係で、学校の図書館にあるその手の本は全部読み、松戸市の図書館にも学校の帰りに通った。都内の国会図書館にも何度か行った。最後にはまったのは演劇の本。ベケットの「ゴドーを待ちながら」が一番の愛読書になった。セリフは全部暗記した。永遠に来ないとほぼわかっているのにそれを毎日そわそわと待ち続けるなんて、何と素敵だろうと感動したのだ。学校でも歩きながら私が暗記したセリフをブツブツ口にするようになったので、私はますます変人として警戒されるようになった。私だってそんな人間が隣にいたら「こいつ、何? 狂ってる」と思うに違いない。
表立った事件は何も起きなかった。新しく好きになった男もいない。誘われる事もない。毎日、大人しく学校に通い、本を読むだけ。変化は私の本棚の本が増えていく事だけ。船便で送ったヒロシのカバンは、お母さんには私のだから気にしないでと説明し私の部屋の押入れの奥にしまっておいた。いつか彼に感謝される時が來るかも知れない。
高校も地元の松戸高校で、毎日表向きは大人しく学校に通った。授業中は隠れ読みで、クラブ活動は演劇部。ベケットをやりたかったから。でも、日本の演劇の主流はもっと現代版の前衛劇で、部長たちからはベケットなんてもう古いと笑われた。それで仕方なく一人芝居として全部自分でつくった。私は新入部員に過ぎなかったけど、これが春の学校の演劇祭で上演された作品の特賞になり、秋の千葉県の演劇祭では同じ作品で銀賞を獲得した。私は少しだけ有名になったみたい。でも他人にどう思われるかなんて興味なかった。次第に演劇部の中でも嫌われて孤立し、ますます一人芝居に熱中した。ベケット以外にも一人でやれる作品の系譜を調べ、一人で制作・演出・主演をやるようになった。最後は自分で脚本を書き始めた。それでも演劇部の所属を続けたのは、道具から衣装まで必要なものを全部タダで使えたからだ。
高校でも表立った事件は何も起きなかった。親友も出来ない。恋人なんてもちろん出来ない。私の関心を惹く男はどこにも居なかった。単調な生活なので時間が経つのが早い。私は猛スピードで年を取っていくのかも知れない。16才から18才までの高校生活。青春の3年間。灰色だった。対照的だったのは、14才から15才。苦しかったけど、冒険続きで、恋愛もして、何だか疾風怒濤の季節だった。懐かしい。今は読書や演劇で充実していたけれど、肝心の「花」がなかった。ヒロシの恋人ナツコの事を考えてみた。ナツコは17才で彼と恋愛し、彼の子供を欲しいと思った。凄い。彼女の毎日を想像してみた。私と正反対。羨ましかった。
大学は東京の早稲田大学で、専攻は文学部。松戸の家から通った。クラブ活動はここでも演劇部。この大学の演劇部は全国でも有名で、昔は前衛演劇のメッカの一つだったそうだ。演劇部も沢山あった。多すぎるほど。私は全部をチェックし、その内の気に入った「0000」に入部した。部員は30名近くいて、ほとんど女子。私は相変わらず一人芝居に熱中した。警戒されていて、親友はやはり出来なかった。男からも声はかからない。最近は割と派手な服を着るようになっていた。それで、学内を歩くと遠巻きに男たちが私を見るようになっていたのは気づいていた。でも私を誘う男はいない。私から男に近づく事もない。
2
最初の事件は、2年生になったばかりの私の20才の誕生日に起きた。
帰国してから6年目。私はお母さんには内緒で、土曜日の夕方から週1日だけ赤坂にある高級風俗店でアルバイトを始めていた。本を買うお金がお母さんから貰う小遣いでは足りなくなったせいもあったけど、それが理由じゃなかった。いざとなれば大金の貯金がある。それよりも、自分で脚本を書くようになってから、男と女の性欲についてもっと知らないとこれ以上書けないと認識したからだ。私も自分の演技の幅を広げないとこれ以上の女優にはなれないとも感じていた。私は必要と感じたら何だってやる。帰国してから私はずっと自分を隠してきたけど、そろそろそんな自分を止めたい。野性的女になりたかった。自分にどんな性的嗜好があるのかも知りたかった。20才になった私のからだは? 今でも男の欲望をそそるのかしら? でも、どんな風に? そして、私はどんな男と、どんな風にすると興奮するのか。そんな事をまとめて知るには風俗がちょうどいいのでは? いきなり売春クラブでは危ないかも知れないし。
ネットでいろいろ調べた。この風俗店では、男のからだを洗ってちょっとした性的サービスをするだけで月に20万円。週1で月4日の出勤だから、1日5万円。悪くない。流石高級風俗店だ。本代としても充分。面接の時にベテランらしい女の担当者が私にいろいろ聞いて、裸もチェックされた。「あなたのからだは売れるわよ」だって。最後にこの店のルールブックという小さな本を渡されて終了。避妊対策も詳しく書いてあった。私は合格。赤坂には松戸から電車で40分、そんなに遠くはない。読書にちょうどいい。終電前に家に帰れる。お母さんには、毎週土曜日の夜は都内のミニシアターで演劇部の合同批評会があるとウソを言っていた。
勤め始めてから1ヶ月過ぎた頃、まさかと思ったけど客として来た木原キヨシに出会ってしまった。彼は早稲田大学の文学担当の非常勤講師で、作家らしい。30才。まだ若い。週2日大学に来ていた。私が入った演劇部にも顧問と称して時々顔を出していた。私は彼のプレイボーイを気取ったにやけた態度が大嫌い。そして世界の事は何でも知っているから教えてあげる風の、高慢ちきな感じが何とも生理的にイヤだった。だから彼が部活に来た時には挨拶もせず、それまでやっていた仕事も中断してバタバタとわざと大きな音を立ててすぐに帰った。先輩たちには「失礼よ。ちゃんと挨拶して」と何度も注意されたけど、生理的拒絶反応はどうしょうもない。顔を見ただけで背筋がゾクゾクと寒くなる。本当の物知りは彼のような振る舞いは決してしない。私にはわかる。こいつは安価なニセ物だ。
はじめ、私はその客がキヨシとは気づかなかった。私はほとんど客の顔を見ないし、話しもしない。今日もニコニコとウソ笑いをし、いつものように半裸で客の背中のマッサージを始めた。二言三言何か聞かれたので上の空で答えたけど、何だったか忘れた。そしてしばらくしてから、不意にその客が顔をあげて私を見た。それが彼だった。そして、何とも言えず顔を下品に歪め、わざとゆっくり時間をかけて「ニタリ」と笑った。そして、私の本名を呼び、「鈴木カオリさんだよね? 人生はオモシロイな。お前の弱みを握ったぞ」と言った。そして素早く起きて私を押し倒して裸にし、私のからだを嫌らしい手つきで触り始めた。言う通りにしないと秘密を大学にばらすぞと脅され、風俗の限界を超えた性的サービスをさせられた。そして全部で3回も犯された。この店では本番は禁止だけど抵抗できなかった。男は射精の度に精液を私の乳首に押し付けた。この男は乳首が好きなのだ。
「思った通り、お前はいい女だな。お前が俺を嫌いなように俺もお前が嫌いだが、セックスはまた別だからな」
彼は勝ち誇ったようにニタニタ笑っている。嬉しそうだ。最低の男。何という嫌な奴。私は表情を変えず、黙ったままだ。
「大学で最初にお前を見た時、セクシーで可愛い女だって思ったよ。いつも冷たく高慢に人を見下しているよな。特に男に対する態度が悪い。ゲストの俺にも挨拶しない。俺の顔も見ずにいつも黙って部室を出ていきやがる。でも、俺はこういう生意気な女と一番やりたいんだよ。お前とやって、俺は気持ちよくて天国に行った気分だ。お前もピクピク痙攣してたよな。よかったんだろ? どうだ? 俺にはよくわかったぜ」
私は一言も返事をしなかった。こういう男は無視するに限る。
「もっとして欲しいのか? どんな風にして欲しいか言えばやってやるぜ」
彼はまた私を抱いて、さっきよりも念入りに私のからだの隅々を愛撫し、挿入した。まるで獣だ。ペニスだけではなく、からだ全体でいきり立っている。そして、同時に彼は私の様子を見ている。でも私は決して喋らない、一言も。声も出さない。この男が大嫌いだから。
「黙っててもわかるよ。お前にも結構危ない血が流れていそうだな。ウワサは大学でもいろいろ聞いてるよ。大学で一二番の本好きで聡明風だけど、裏で何をやってるかわからない女だってさ。それがこの風俗なのか? もっと別にもやってる? 売春クラブとか? 14才の時に1年間海外に家出してたって話しは本当か? 何やってたんだ? すごいな。俺なんかよりずっと危ないのかも知れないな。お前も知ってるかも知れないが、最高の快楽は善良な関係からは生まれない。逆だよね。俺とお前の関係では、お前が俺を嫌うほど俺はお前に燃えるのさ。女は男の燃え方を直観で感じる。女の子宮は男が最高に燃えるのを待っている。なぜって、男の征服本能が刺激されてその方が男がまき散らす精子の純度が格段に高くなるからだ。子宮が欲しがるのは純度の高い精子だよ。ヘナヘナの精子はダメ。単純な生物学的原理だから、もちろんお前にもわかるよな?」
彼は長々と説明している間にも私のからだに触り、また挿入した。3度目。精力がつよい。この男は何でこんなに何度も勃起できるのか? それほど私はいい女? 男の欲望が止まらない? そして今度は私の首を絞めた。ぐいぐい絞められ息が出来ない。彼のペニスがさらに充血し、血管が何本も浮き上がっている。興奮し、彼はほとんど叫んでいる。狂暴な心を持っているのだ。
「もっと首を絞めて欲しいか? お前の苦しそうな顔はいいな。涙も出てるな。お前のエロい顔を見てペニスがこんなに硬く大きくなってるよ。カチカチだ。抵抗しないのか? 抵抗しろよ。触らないでとか、あっちに行ってとか、あなたなんて大嫌いって言えよ。その方がお前が可愛くて俺はもっと興奮するんだよ」
彼には決して言わないけど、犯されて私の膣が痙攣して何度も行ったのは本当だ。思い切りのけぞるという姿勢も初めて覚えた。悪くない。いい感じだ。首を絞められてもっと自分が濡れるのがわかった。彼が嫌いなのは何も変わらない。口もきかない。私はただ嫌そうな顔をしている。だけど、すごく気持ちがいい。この手の快楽は私には初めてだ。ヒロシの時に知った快楽とは全く違う。刺激に溢れ、からだがヒリヒリして、乳首まで勃起し、膣もめちゃくちゃに濡れて、まるでからだ全体が性器になっていく感覚だ。これでムチで打たれたらもっと大変な事になるかも知れない。私はムチで打たれ、痛くて顔もからだもどんどん歪んでいくのに快楽だけが極限に昇りつめていく光景を想像してみた。いいね。そして、昇天? 想像するだけでもっと濡れてきた。私は結構マゾなのかも知れない。自分の性癖をはじめて知ったのか? 勉強になる。こっちから授業料を払ってもいい位だ。この男とは絶対に口はきかないけど。
3
その日以来、キヨシは私が出ている日を確認して店に何度も来るようになった。その度に私は自分の性癖を思い知らされた。彼はいろんな性具も隠して持ち込んできた。でも、確かに彼は作家なのだろう。私にいろんなポーズをさせて犯しながら、同時に私の様子を冷静に観察していたから。彼は時々、自分の脇に置いたノートに何やら書き込んでいる。こんなおかしな客も珍しい。後で私が同僚の一人に彼の事を話したら、「私も知ってるわ。面白い人。あなたの前は私をよく指名してたから。あの男は私ともセックスしながら何か書いてたわよ。言う事が奇妙だし変わった人ね。仕事は何をしてるのかな?」と興味津々という様子だった。
そして、キヨシは大学でも私を犯すようになった。大学の裏手にスポーツ系部室として使われていた小さな体育館のように廃屋があり、廃屋の裏側は大きな通りに面していた。人も、車も沢山通る。彼は、わざと通りから見えそうな場所で私を裸にして犯した。この光景は通行人も注意して見れば見えるはず。誰かに見られているかも知れない。私はその自分の姿を想像して興奮してしまい、痙攣し、何度も行って、大きな快楽を味わった。彼は私を犯しながら、同時にケイタイで私が行く時の様子を撮影していた。そして、それが終わると私を廃屋の一室に連れ込んだ。驚いたのは、部屋の内部がラブホテルのようにキレイに装飾されていた事だ。部屋は外から見ると薄汚れていたけど、中はきちんと掃除され、大きなダブルベッドがあり、いろんな照明機材も設置されていた。ひょっとしてここはポルノの撮影スタジオか? 多分そうだ。
そして、最初の内はキヨシ一人だったのが、その内彼の仲間らしい数人の男たちが加わるようになった。男たちが姿を見せる前に私はきつく目隠しをされるので、彼らが誰かは私にはわからない。挿入されている時も目隠しを取るのは禁止だ。私は目隠しをしたまま男たちに犯され続けた。事が終わり、目隠しが外される時には彼らは立ち去ってもういなかった。デブで肌に張りが無い男たちも混じっていたから、年寄りもいたに違いない。いつも3~4人だったと思う。男たちにゆっくりと服を脱がされ、裸にされ、口づけされ、乳首を吸われ、口や鼻や耳や膣や肛門に何本もの指を入れられ、男たちの舌でからだ中を舐められている内に私は我を忘れてすっかりいい気持ちになってしまう。男たちのペニスも自分から咥えた。彼らが喜んでいるのがわかる。硬く充血したペニスを何本も咥え、私は挿入されて痙攣が止まらなくなるほど興奮し、何度も声を出してしまった。彼との時には自制できたけど、気持ち良すぎてダメだった。複数の男たちとのセックスの快楽とはこういう事かと認識した。私は他の女については知らないけど、私の場合はセックスの後に出来るだけ長くその余韻に浸っていたい。その余韻がいいのだ。でもその効果は10分も続かない。それがいつも私の膣に誰かの勃起したペニスが入っていれば、余韻ではない陶酔がずっと続く。私の痙攣が果てしなく続く。誰かの本に書いてあったのを思い出した。「乱交の快楽と美学とは? 疲れる、でも天国だ」だって。それは正解で、素敵な発見だよね?
後でキヨシに聞いた話しでは、男たちは大学の関係者だった。私の事を知る数人の教授も交じっていたらしい。それは誰だったのか? 私が知っている教授たちのいやらしい顔を思い浮かべ、私を犯している場面を想像するだけで自分が濡れるのがわかった。それも男が醜悪なほど私は濡れる。つまり、私はM志向よりは、お姫さま志向なのだ。相手がひどいデブだったり醜い顔の男だったりするほど、女の美は際立つ。私は何て美しい女で男の欲望をそそるからだの持ち主かと、自分で感動する。私はかなりのナルシストだ。そう理解した。
そして、男たちが私を犯している間はキヨシは加わらず、もっぱらカメラを回していたそうだ。必要なシーンが溜まったら編集し、AV作品として売っていたそうだ。彼はAV監督でもあるのだ。彼の話しでは、このロケーションではやるよりも見る方が圧倒的によくて、ペニスも勃起しぱっなしだと私に自慢した。
「俺はお前が好きになってしまったみたいだからお前を他の男に渡したくないんだが、男たちにおもちゃにされて嫌だと言いながらピクピク痙攣して何度もイクお前が何ともいいんだよ」
私は黙って聞いている。まだキヨシとは一言も喋っていない。私は頑固だ。嫌いな男とは喋らない。彼もそれにはもう慣れていて、私が喋らなくても平気になっている。
「お前のからだの美しさもそういう時が特別だ。その美は何とも言い難い。カメラもその瞬間に焦点を当てている。余程の精力絶倫男でもなければ、どんなに勃起しても数回射精すればそれでお終いだよね。俺のお前との射精の最高記録も一度に4回止まり。それ以上はもうお前がどんなにエロくてもムリ」
私はヒロシが編集した私の映像を見たけれど、確かに私が痙攣している時の裸は特別にキレイだった。特に複数の男たちに犯されている時が特別にいい。彼は撮影の仕方を工夫して男たちが誰なのか特定されないように顔は映していなかったけど、私には少し横顔が見えるだけでも大体予想できた。確かに、私が知っている教授が数人混じっていた。とにかく、私も満足。私は最高のお姫さまになっている。品のない野獣たちと美の饗宴だ。私の映像には女でもそそられる? 私は女ともしてみたい。男の場合と何が違うのか?
「勃起を促し、長引かせる方法を男たちは古代からあの手この手といろいろ考えてきたわけだが、好きな女が目の前で他の男に犯されてイクのを見るのが定番の一つだ。見ている男には勃起して、射精寸前の状態が続く。0000教の経典0000に書いてある方法は特に有名だよ。お前も読んだことある? 射精禁止。射精寸前の勃起をいかに長続きさせるか。その方法が詳しく書いてある。すごい研究だよ」
キヨシは長々と喋ってるけど、犯されている私を見ている方が私とやるよりも大きな快楽を味わうなんて、女の私に自慢しても仕方ない。確かにそれも男の本能なのかも知れない。つまり、男には女に対する支配欲が本能としてセットされているから、それを踏みにじられた時に被虐的快楽を味わうというわけだ。単純。わかりやすい。だから勉強になるけど、でもそんな男の心理は女には関係ないよ。女には勃起したペニスが自分の膣に入っていればそれでいいからだ。だから私は興味ない。そんな種類の欲望は女にはない。私なら、好きになった男が目の前で他の女とやって男が私の時よりよかったような顔をするなら、その女を殺したいと思うだけ。その女には憎悪しか感じない。彼の話しの中では、私の裸が一番キレイに見える瞬間についての説明だけが面白かった。演技に役立つからだ。
もちろん、男が女に対して働く暴力だけは許されない。その時女が快楽を味わったとしても、話しは別だ。ムリにリンゴを食べさせられても舌がリンゴの味を感じるのと同じだ。女が暴力を働いた男に恨みを持った場合には、その恨みは晴らされなければならない。男は制裁され報いを受ける必要がある。よく男は「女も快楽を味わったのだから、問題ないのでは?」という種類の言い訳をするが、それは全く勘違い。暴力について判断するのは暴力を受けた側で、行使した側じゃない。そして女が恨みを晴らせず貯めてしまう場合には、倍返しで晴らされる必要がある。この手の恨みは歴史上「0000」のように溜っている。「積年の恨み」はいつか纏めて清算される必要がある。キヨシが私にする行為は、暴力ではない。彼が私を犯すように仕向けるのは私だから。いずれにしても、私はこんな経過でキヨシとセックスフレンドになった。性だけの関係。相変わらず自分からは一言も喋らない。彼とは気持ちよくなっても声は出さない。自制できる範囲だ。
第2章 風俗の楽しみと悲哀
1
僕の名前は木原キヨシ。30才。
演劇の演出家をやっていたが、ひょんなきっかけで風俗作家になり、その延長でAV監督もやるようになった。「性の多様さと快楽」を追求するのは面白い。僕のライフワークになりそうだ。演劇の演出家では金持ちになれないが、風俗作家は儲かる。AV監督はネットに進出すればら更に儲かる。今ではこの職業で僕は東京・六本木の高級マンションに住み、沖縄の宮古島に別荘も持っている。車も外車が3台。金があるので女を手に入れるのも簡単だ。僕は成功した部類に入る。
但し、女遊びの達人なら誰だって知っているわけだが、気になる女ほど手に入らない。どうでもいい女は簡単。当然、征服本能を脳にインプットされた男たちは手に入らない女を夢中になって追いかける。僕も、どうせならその世界の最先端を走ってみたいと思った。
その点でカオリは、手に入らない女の典型だ。官能的なからだと男を拒絶するテクニックを持っている。久しぶりに僕の闘争心に火をつける女に出会った。僕は非常勤講師をやっている大学の演劇部で彼女を見つけた。この演劇部の部長から部員の資料を全部見せられたが、新鮮味がない。何で皆寄りによってこんなに平板なんだ? 際立つ個性というものがない。それでも一つの資料だけが目に留まった。鈴木カオリという1年生。彼女の作品の資料には裸に近い恰好の写真が何枚か入っていた。それを見て直感的に「いいね」と思った。その美しさは並みではないかも知れない。機会があれば話してみたい。この女の才能をセクシュアリティまで含め大胆に引き出してみたいと思ったのだ。職業上の直感だ。この写真で見る限り、表現レベルは初心者に過ぎない。素材が生かされていない。しかし、部長に聞くと、カオリは人嫌いで、多分僕の誘いには乗らないだろうとの否定的返事だった。一度機会があったので声をかけようとしたが、聞こえないフリをされ完全に無視された。プライドの高い女だ。僕はこの女を攻略目標のリストに入れた。今5人の名前が手帳にあるが、その中で彼女が一番だ。
2
カオリには思いがけない形で出会う事になった。運命の出会いか? 僕にも映画の主人公になったような場面が突然やってきた。小説の種探しと、AV女優の卵を探すのが目的で通っている赤坂の高級風俗。何とそこに彼女が新人として入って来たのだ。どこの風俗も同じだが、この風俗でも女の回転は早い。2週間に1度は顔を出すようにしているが、いつも2~3人は新人と入れ替っている。僕の関心は当然ながら新人あさり。未知な可能性を残しているのは稀な例外を除き新人だけだからだ。
それにしても、カオリに風俗で出会うとは。意外だった。毎週行っている大学の演劇部で僕は既にこの女を知っていた。読書家で、うかつに喋るとウソが見破られると話題になっていた。そして彼女の知的な反面、いつも男を誘う服を着て性的魅力を強調していた。そして、それに知らんぷりをしている。小悪魔的才女の典型だ。彼女は店ではメグミと名乗っていて、僕は最初この女がカオリであるとは気づかなかった。
最初にメグミに会った時、彼女は1ヶ月前に入ったばかりの新人だった。男好きがするからだで、顔も可愛い。性テクもまずまず。軽薄な女のふりをして、よく喋りよく笑い、いかにも楽しそうに僕のからだをマッサージしていた。だから僕も彼女は普通の風俗嬢と思ったが、一つだけ変なことに気がついた。それは僕の顔を見ない点だ。なぜだ? それで、観察を始めると、彼女が陽気な女を演じながら同時に僕を観察しているらしい事がわかった。演劇の世界でもよく使う「客体視」という方法だ。自分のやっている事に集中しながら、まるで臨死体験のようにもう一人の自分を自分から遊離させ、自分を見るという方法。この女もそれを知っているのか?
それで僕が何気なく「君、何かやってるの? 例えば演劇とか?」と聞くと、メグミは驚いた様子で手の動きを止めた。僕は薄目を開けて彼女を見た。彼女の顔はもう笑っていない。沈黙した顔を見て、「あれっ? 誰かに似てる」と思い、それが大学の演劇部のカオリであることに気がついた。真剣になった彼女の顔がそれまでのメグミとは別人で、それが僕が記憶するカオリの顔だったからだ。ただ僕は、「あっ、いや、何でもないよ」とだけ言い、気づかぬふりをしてうつ伏せになりマッサージを続けるように頼んだ。彼女は続けていたが、明らかに動揺している。手が小刻みに震えてそれが止まらなくなっている。僕は確信した。間違いない。ゆっくりとからだをねじり、顔を上げ、笑みを浮かべて彼女を見た。
「君、鈴木カオリさんだよね?」
彼女が初めて僕の目を見た。ものすごく驚いている。そして僕が同じ大学に通う木原キヨシであることに気付いたようだ。その顔の何と印象的な事か。美しいのだ。記憶に残った。その後の展開は、性愛を追求する僕にはサド侯爵にでもなった気分で、まさに愛の天国に入ったと言うべきだ。
カオリを乱暴に押し倒して裸にし、彼女のからだを舐めるように上から下まで見て行った。太ももの内側に片手を入れて摩り、片手で乳房に触れるとピクリとからだを大きく震わせた。乳首を軽くつまんだだけで身をよじり始めた。敏感な女の典型だ。形のいい大きな乳房を両手で揉み、乳首を交互に咬むと、目をつぶったまま彼女は激しく喘ぎ始めた。快楽を抑えられない様子だ。腰に両手を回して持ち上げると、彼女は自分からのけぞっていく。膣に触るともう濡れている。クリトリスを指でつまみ舌で愛撫すると、淫靡な感じでからだを妖しくくねらせる。彼女が描き出すからだの線は驚くほどキレイだ。女は男に触られて別の女になる。僕が勃起して我慢できなくなったペニスを挿入すると、一瞬だけ大きな声を上げて激しく痙攣を始めた。僕への拒絶反応を示しながらも、僕のペニスの動きに自分の腰の動きを合わせ吸い付くようにピッタリとついて來る。彼女の膣は稀に見る絶品だ。そして、仕事だから仕方がないという風情を残しながら、何度も行った。僕もこれだけ気持ちよく射精したのも久しぶりだ。ペニスを彼女の乳首に押しつけると大量の精子が迸しり出た。彼女に対する僕の感想は「何ていい女」と賛嘆の一言だった。
但し、その後もカオリは僕に大学で会っても、挨拶もしなければ呼んでも返事もしない。涼しい顔をして、何事もなかったように、いつものように男を見下した態度ですれ違って行く。一言も喋らない。徹底していた。そうかと思うと、僕が彼女をケイタイで呼び出すと黙ってついて来る。人前の時とはガラっと違い、明らかに僕に触られるのを待っている。僕が彼女の服の隙間から手を入れて乳房を揉むと、何とも妖しい顔に変化する。そして大学の裏手や撮影用の部屋で平気で抱かれる。快楽に震えて何度も行って見せる。教授仲間やその他の男たちを連れて来て乱交を始めた時の彼女の反応は、本当に凄かった。正直僕は女の性欲に驚いた。知っているつもりになっていたのは誤りだ。僕は彼女により女の本性をまざまざと知った。貪欲。それも底なしの。男たちのペニスを自分から咥え、際限なく挿入を求めた。そして男たちのペニスを乳首にこすり付けて射精させていた。痙攣が止まらず、からだ中を精子まみれにして彼女は悦んでいる。まさに深淵を感じさせる性の世界を彼女は持っていた。そして、次の日に大学で出会うと、彼女は相変わらず僕を冷たく無視したままなのだ。何事もなかったように平然としている。僕は相変わらず彼女に嫌われている。親しみの様子を見せない。僕はこの女が理解できない。彼女の方が僕よりずっと上手なのかも知れない。
3
男は「演出」に弱い。つまり物語が好きなのだ。
何の事はない。エロティシズムとは「演出」であり、女とは男に物語を仕込まれるべき対象なのだ。男は、同じ女のからだなのに「見せ方」によって興奮したり、しなかったりする。だからストリップが歴史上不変の価値を持ってきた。女は、プロも、アマチュアも、つまり普通の女も、男を誘う時はこのテクニックを使う。「演出」に特別な力がある。例えば「清純に見える女」がエロい仕草をした時の効果は、古今東西、抜群。ロリコンの価値も不変だ。「清純な女」である必要はない。ただそう見えればいいのだ。
僕は、カオリを大学の裏のスタジオで何度も撮影する内に、ただ犯されている彼女の姿を記録して編集するだけでは面白くないと思い始めた。新しいAV作品を一緒につくってみたい。彼女は自分でも脚本を書いていると言っていた。彼女には書き手としての才能もあるかも知れない。僕がそれを引き出せるだろうか? 自信はない。でもやってみたかった。言い訳として、彼女にも周囲にも「なに、金稼ぎが目的の気楽な道楽さ」と言っておいた。彼女と二人で脚本を書き、僕が監督で彼女が演じる。面白いかも知れない。
折しもAV業界には改革を求める新しい嵐が吹き始めていた。既成のAV作品は物語が幼すぎる。他の会社のAVもどこも同じだ。何年経っても同じ。新人監督が入ってきて、新しい考えや感性をもつ若手女優たちも増えているのに、生かされない。彼女たちの多くは金が目的だからそれでもいいかも知れない。しかし違う女優たちもいる。僕も違った。カオリも違うだろう。僕は何本もAV作品を監督して金を稼いできたが、本当は不満だった。彼女と出会ったのがちょうどいい機会だ。新しい事に挑戦してみよう。
昔の日活ロマンポルノも調べたけど、斜陽産業に傾き始めた映画にAVを加えて持ち直そうとしただけではないのか? そんな計算で制作されたようにしか見えない。中途半端な路線だ。吉永小百合たちが活躍していた頃の日活の黄金時代はもうとっくに過ぎている。テレビが普及し人々が映画館に行かなくなった。女優たちも小粒になった。しかし古い世代は一度占めた味が忘れられない。それで物語は昔のまま。古臭い。時代に遅れ始めた映画はますます衰退する。ところがその頃AVは一定の人気を持ち始めていた。それならAVを加えればいいのでは? もしこんな発想だったとすれば、何という情けない凋落だろう。当然僕にはそんな焦りはない。かつての栄光の末裔ではないからだ。僕が好きな映画監督のラース・フォン・トリアーのように、あくまで今の時代に成立する物語を開拓して自分のやりたい事だけを追求したい。僕などが彼の名前を出すのはおこがましいが、僕も周囲の反対は気にしない。結果、もし人気が出るならそれで結構だ。一般映画にAVを加えるのではなく、AVに徹する事で「新しい物語」を誕生させる事は出来ないのか? 僕はそれを求めたい。カオリのAV女優としての可能性は高いと思う。官能性とアタマの切れを兼ね備えている。それをうまく使えないか? これまでと同じ物語で彼女にエロい仕草をさせてそれでお終いなのではなく、彼女をもっと解剖したい。なぜ彼女は自分の性癖を知りたいのか? 彼女は自分の作品としてどんなものをつくりたいのか? AVが好きだという彼女はどんな人間なのか? 男に犯されて恨みを持つ場合と持たない場合の差は何か? 男はその差が今もってわかっていない。今を生きる彼女に取って性とは何か? つまり、彼女の性を彼女の存在と関連させて読み解く事だ。そこからAVの「新しい物語」が誕生するかも知れない。
第3章 AV女優
1
AV女優の魅力は、何よりも自分の性癖を客観的に知る事が出来るという点だ。その意味で、演技が決定的に重要になる。簡単に言って無責任になれる。「あら、あれは役としてやっていただけ」と言い訳できる。つまり、「役」というフィクションの中で自分を冷静に分析できる。私が「男を、日常を超えた次元で勃起させる」という使命を果たしつつ、私は次々に変化していく。その変化の中で「新しい自分」を得た気になり、しかもこの「新しい自分」が成長する事を知るのである。この点がAV女優の最大のメリット。なので、そんな変化が許されないこれまでのAVは全く自分には合わない。キヨシはその意味で先駆者だし、私は彼のお陰でこのコースを開拓できるようになった。
もちろん、AV女優には覚悟が必要になる。公開されるわけだから、それが自分の周囲に知られても困らないように自分を鍛えておく必要がある。それがないと、「どうやって隠そうか? 知られたらどうしょう?」という恐怖に怯えた毎日になってしまう。それではアーティストの資格がない。私がバレても平然としていれば、周囲の私に対する冷たい視線もやがて無くなる。効果がないとわかるからだ。私が新しい世界を生きている人間である事を認めるしかなくなる。いじめと同じだ。誰もつよい者をいじめに来ない。私は母にもカナコにも、その時が来ればちゃんと説明できるように心の準備をしている。最初はビックリして反発されるかも知れないけど、いずれ理解して受け入れてくれると私は信じている。
でも、まぁ、それでも本音を言えば、AV女優と女優は違うわね。だって、AV女優は年齢制限がある商売だ。AV女優が「男たちの性欲」を当てにした仕事であり、男たちがピチピチのからだを持つ若い女とやりたいのが大多数で正常なわけだから、こればかりは仕方ない。資本主義の一大原則だ。私は今22才だから、せいぜい25才で止めるのがいいのでは? それに対して、女優の場合は、原則、年齢制限はない。死ぬまで続けられる。対象が「男たちの性欲」ではないからだ。でも、こんな女優でさえ、「商品」としてまな板に乗せられたお人形さんである事は昔から変わらない。所属事務所やTVや映画会社やスポンサーの意向次第で、簡単に干されてしまう。本人の希望など通用せず、無視される。次々と才能を持つ若い女優が出て來るし、「交換可能な駒」として扱われる世界なのだ。私はそんな「駒」にはなりたくない。自分の運命を自分で決められる者がアーティストなので、こんな女優たちの世界にアーティストは存在しない。最近は自分の事をアーティストと名乗る勘違いのアイドルたちも増えているけど、業界にうまく騙されているだけでみっともない。彼らはアーティストの怖さをまるで知らない。最悪なのが、昔ヒットを出した女優が今は何の作品もないのに経歴に「女優」と書くケース。彼女たちは自分がいかに惨めな存在になっているかに気づかない。
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私がキヨシと仲良くなっていくのに並行して、時代は変わり、AV作品の制作の仕方にも大きな変化が起きた。私たちの場合も、最初は私は彼の言いなりで、彼が脚本を書いて監督を務め、私は彼の演出の通りの女優をやっていただけ。それが、彼の方で脚本の段階から私に加わって欲しいと言い出した。もちろん私は興味があったし、喜んで参加した。彼によれば「AVの限界」を超える為には、女の新しい力が必要との事。私は最初は「AVの限界」自体に関心がなかったけど、それを破ると私も成長出来る事がわかり、俄然興味を持った。それで、私たちの議論の焦点は、男たちのペニスを勃起させる力を持つと同時に一般映画としても通用する作品に必要な「物語」を巡って。それで、二人で共同制作として脚本を仕上げた後、私が演技し、最後にキヨシが色をつける事になった。二人のAVの定義については、恋人がいない男や、恋人では満足できない男たちの性欲を日常以上に喚起し射精を支援する作品であり、同時に、観客だけではなく作品制作に関わった者たちも含めて精神的成長に促す作品、という認識だ。普通はAVでこんな事は実現しない。でも、この見解は二人とも同じだった。
私は「女の味方」にもなりたくない。私は過去の性がテーマのAV映画も調べたけど、女監督によるものには傑作が少ない。女が必要以上に美化されて、男の欲望に火をつけないからだ。そんな映画では男たちは勃起しない。欲望の世界に人間に対する配慮が入り過ぎている。欲望は欲望だ。動物が持っているものと同じだ。ヒューマニズムはゼロでいい。だから私たちも、そんな配慮は捨てて、「男の欲望」の視点から物語をつくった。私は、AVがAVに閉じないような物語構成を担当。エロさの味付けはキヨシ。私たちは、性を徹底的に描き、快楽第一主義を取りつつも大らかになれるように物語を工夫した。
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タイトルは『女優のレッスン~新・吸血鬼伝説』。3つのシーンから構成される。AV作品としては長い。主人公の女の名前はマナ。新人の写真家で、22才。もう一人の主人公の吸血鬼には名前がない。年齢不詳。70才は優に超えている。
[シーン1]
私がマンションに帰ってきた時、一人の男が玄関に立っていた。知人を訪ねてきたのか? なぜか私をじっと見ている。でも男は何も言わず、私も黙って玄関の扉を開いた。自分の部屋に入り、私は上機嫌だった。自然に笑みが零れて一人でダンスした。今夜は私の個展の初日で、客も大入りだった。何枚も作品が売れた。私は新人の写真家。アルバイトでモデルもやっている。写真のテーマは「叶わぬ愛」。表現方法が斬新と評価されていてかなり人気がある。私はまだ22才で若いけど、小さい時から強迫観念に憑かれたように「叶わぬ愛」を求めて来た。5才の時、ペットの犬や猫が不満で恐竜を飼いたいと泣いて親を困らせた。13才の時、学校と町の図書館の本の選択が偏向していると抗議して新しい注文リストを出した。15才で初恋を経験した時も、相手に無理難題を要求して自分で壊した。いつだって、「叶わぬ愛」だ。なぜ? 理由はわからない。私は友達もボーイフレンドも多い方だと思うけど、心が満たされたという経験がない。いつも孤独だった。17才の高校生の時からうつ病が持病になり、自殺未遂も3回。いつも失敗して死ねなかった。カウンセラーにも相談したけど、失敗の原因は私に本気で死ぬ気がないからではと言われている。そうかも知れない。生きたいという欲求も強いから。でもどうすればいいの? 人に訴えても理解されない。私が贅沢な悩みを言っているだけだと思われた。それでアーティストになるしか方法はなかった。私はアートで救われた。アートは私が自分の心の奥深くに入り自分が求めるものを探し出し、それを形にして表に取り出す行為だ。それも無制限にやっていい。ダンサーや彫刻家などいろいろ挑戦したけど、最後は写真家になった。私は写真を撮るのが好きだ。私の場合には、写真が私が求めるものを形として表現出来る。アーティストになって私は変わった。写真家は楽しかった。だから明日も楽しみ。客が来るかどうかは本当はどっちでもいい。私は今度の個展で自分が気に入った作品が出来たので、もうそれで満足している。私はお風呂に入った。お湯の一面に本物の薔薇の花びらをまき、ゆずの入浴剤を入れた。興奮気味だったせいもあり、お湯の中でからだを時間をかけて愛撫した。私は乳首に敏感だった。5回も行った。快楽の長い余韻を引いて。私は幸福だった。
1時間ほどゆっくりしてから薄いガウンを羽織り部屋に戻ると、窓際に一人の男が立っていた。えっ、誰? 何と玄関にいた男だ。黒い大きなマントを着ている。異様な雰囲気だ。人間じゃない? 顔をよく見たけどまるで記憶にない。知らない男だ。私が「誰? 何なの? 警察を呼ぶわよ!」と叫ぶと、男はなぜか感極まったという感じで目にうっすらと涙を浮かべて私を見ている。えっ、なぜ泣いてるの? どこから入ったの? ドアを見るとちゃんと鍵がかかっている。窓を見ると少し開いていて、カーテンが揺れていた。年齢は70才位? もっとか? 男は「玄関では君の顔がはっきり見えなかった。全ての部屋を調べ、やっと君に会えた。長い年月だった。君の声が懐かしい」とおかしな事を言う。変だと思い、鏡を見ると男の姿が映っていない。えーっ! 何と、吸血鬼なのだ。男は立ったまま大粒の涙を流し始めた。異様な感じが消え、まるで小さな子供だ。私は男の涙に弱い。5分も泣いていただろうか? 私は何も言えずただ彼を見ていた。やがて男は泣きやみ、私を見て、私の方に一歩踏み出した。でもすぐに「ギャっ!」と奇怪な声を上げ、手で私の胸を指差しながら後ずさりした。怯えている。何に怯えたのか? 察しがついた。男が動いた時に私も身構えて一歩下がりガウンの前に両手を合わせたので、そのスキに首にかけていた十字架が見えたのだ。私が十字架を指し「これ?」と聞くと、男は頷いた。映画の場面で何度も見ている。吸血鬼は十字架に近づけない。私はこの男を知らないけど、なぜか男を警戒する気持ちが消えていた。「外して欲しいの?」と聞くと、頷いた。可愛いいと思ってしまった。私は、オナニーの余韻も手伝ってからだは火照ったままで、ハイな気分だった。自分で十字架を外して、床に落とした。そして、男の顔を見ながらガウンもゆっくり脱いだ。男は私の仕草を見て歓喜の表情を浮かべた。そしてその瞬間に軽々と空中を飛び、一瞬で私の前に降り立った。それは恐ろしい光景で、私はビクとも動けなかった。男はいきなり私の首を咬んだ。2本の長く尖った歯が首の肉と血管を切り裂き、深く食い込んでいく。私の血が流れ、床にボタボタと滴っている。
意外だった。私は「あぁ、気持ちいい」と声を上げてしまった。私は完全に痺れている。私はこんな快感は初めてだった。首を咬まれて血を流すのが気持ちいいなんて。私はこれで死ねるかも知れない。そして、私の喘ぎ声を聴いたからか? 或いは私が男の手を取り乳房を揉ませたからか? 男はビックリしたように私の顔を見て、再び空中を飛び窓際に戻ってしまった。私をじっと観察している。そして、何を思ったのか? 再び空中を飛び、私の前に降り立ち、今度は私のからだを抱いて愛撫し始めた。男の様子がさっきと違う。別の男になったみたいだ。卑猥な言葉を喋り出し、私の全身を舌で舐め、乳首を吸い、両足を開いて膣に指を入れた。膣は濡れて愛液が腿を伝わっている。私はどんどん気持ちよくなっていく。男は私をソファーに倒し、いきり立ち血管が浮き上がったペニスを挿入した。獰猛な動物みたいに私の子宮を突いてくる。私は、痙攣し、のけぞり、何度も行った。忙しくてこの1ヶ月誰ともセックスしていなかったので、久々の強烈な快感だった。でも、男は途中でやめた。黙って自分のペニスを見ていた。ペニスは勃起したままで、射精はしていない。私のからだを離したので、「なぜ、私の家に来たの? 私に会いに?」と聞くと、「いつかは忘れた。君の裸を一瞬見た。忘れられなくなった」と言った。えっ、裸? いつ? 1ヶ月前に私は野外の森でヌードモデルをやっていた時があったから、その時に偶然見たのかも知れない。でも一瞬だけ? それで私とやりたくなって来たの? 私が男の顔を覗くと「また来てもいいか?」と聞いた。私が頷くと、男は大蝙蝠に姿を変えて窓から飛び去った。窓から涼しい風が吹き込んでいた。
[シーン2]
1ヶ月後の夜、男が何の前触れもなくやって来て、また窓際に立っていた。でも一人じゃない。女の吸血鬼が一人いて、ベッドの上に横たわり私を見ていた。弟子なのか? 恋人? でもなぜ? いずれにしても男は不気味な様子で、前回と同じ黒いマントを羽織っている。そして無言のまま私の胸を見た。「はずして欲しいの?」と私が聞くと、黙って頷いた。私は女の手前躊躇したけど、まぁいいかと思い、同じように十字架を外し、服を脱いで裸になった。男が来るのを待っていたから。私が「どうして欲しいの?」と聞くと、私の首を咬みながら私としたいと言う。そし最後に女も仲間に入れたいと言う。私が驚いて「えっ、女も? なぜ?」と聞くと、男は私の耳に「快楽に酔う女を、殺し、君に見せる為」とゆっくりと囁いた。私にはわけがわからなかったけど、男は構わず行為を始めた。私は前回と同様に、男に首を咬まれ、挿入され、すぐに有頂天になってしまった。私は声を出し、快楽でからだの痙攣が止まらない。感じやすく、すぐに痙攣して止まらなくなるのは私の特徴みたいだ。
その後、しばらく見ていた女が男に合図されて加わった。髪をかき上げた女はすごく可愛い顔をしていた。私と同じ位の年齢に見える。ガウンを脱ぐと裸で、官能的なからだをしていた。男の導きで私も女に触り、女も私に触った。そして、女は牙を剥き、首だけではなく、私の全身を咬んだ。女は恍惚の表情で私の血を吸っている。私のからだ中から血が流れている。でも気持ちよくて痛みを感じない。私も吸血鬼になるのかも知れない。最後に、女は性具を腰につけて私を犯した。女の吸血鬼に犯されるとは。男は二人の女の様子を見てまた元気になり、女と私を交互に犯した。最後に男は、女がイク瞬間に女の首を咬み、そのまま咬み続けて女を殺した。女の全身が血まみれになった。私は女が激しく痙攣しながら死んで行く様子を見た。そしてピクリとも動かなくなった。男は私に「どうだ? 死んだばかりの女はキレイだろ? この世のものではない美に驚いたか?」と言った。確かに、私は女の美しさに感動してしまった。咄嗟に写真を撮りたいという衝動に駆られた。無意識に反応し、仕事部屋にカメラを跳んで取りに行き、何枚も女を撮った。そして、自分の罪深さに震えた。殺された女に感動するなんて。男は私の心を見透かしたかのように、「心配するな。女は私に殺してくれと頼んでいた。女は死にたがっていた。吸血鬼だから殺しても何の罪にもならない」と言った。そして、用意していたらしい黒い袋に女の遺体を入れ、楽々と脇に掲げ、大蝙蝠の姿になって窓から飛び去って行った。
男は、その後も、新しい別の女吸血鬼を連れて私の部屋に来るようになった。その度に、私は快楽に我を忘れ、男は女を殺し、私は死んで行く女たちの写真を撮った。私は死にゆく女の美に魅了され、病みつきになった。街を歩いていても、何をしていても、女の美しい死に顔が私の脳裏から離れない。そして、自然な流れで、私はそれらの女吸血鬼だけの写真を集めて個展を開いた。私は特異な写真家として更に評価を上げた。マスコミや世間では「まるで本当に死ぬ行く女の写真を撮れる、若くして稀有な才能の写真家」として評判になったが、事実だった。私と男の二人だけが知る秘密ができた。私が男に「セックスの最後に女を殺すのはなぜ?」と聞くと、「私は、吸血鬼で、射精しない。自分に対してクライマックスをつくれない。その代わりだ」と答えた。なるほど、男には射精出来ない虚しさを埋める必要があり、それが女を嚙み殺す事だったのだ。女が死ぬ時、男は射精と同等の体験をする。どこかで同じような物語を読んだ気がする。男が死体が入った袋を抱えて帰った後、私は急いで友人の看護師に電話して来てマンションにもらい、輸血してもらった。私も沢山血を吸い取られ、酷い貧血になっていた。
そして、3ヶ月も過ぎた或る夜、男が帰り際にまた泣き出した。そして、「私は君を愛したかも知れない」と言う。「なぜ泣くの?」と聞くと「嬉しいんだよ」と言う。「吸血鬼は射精しない。とっくに忘れている。でも君を抱いて、人間に戻れそうだ。300年前の記憶が蘇った。300年は私には気が遠くなるほど長い時間だった。辛かった。死ぬ事が出来ない。しかし、これで私はやっと死ねる。君の性欲のお陰だ」。私には何の事かわからない。
[シーン3]
この日以来、見知らぬ若い男が私の夢の中に現れるようになった。この男は、一体誰? 若い男のイメージは日ごとに増幅した。そして、或る夜、男が女吸血鬼を殺した瞬間に、男がこの見知らぬ若い男に変身したのだ。老人に見えていた男が、見る見る私の目の前で変容を始め、若い男として生まれ変わった。私は驚いた。若い男は私を見て、「心配しないで。僕を覚えていないの?」と言い、自分の名前をcと名乗った。cは、300年前、別の吸血鬼に襲われ、目を覚ました時には吸血鬼にされていて、記憶を失くしていたそうだ。それが、私と何度もセックスする内に自分がcであった事を思い出したそうだ。そして、今日、男はcとして復活した。
「なぜ、私の前で?」と私は聞いた。cは「君が300年前に僕の恋人だったから」と答えた。えっ、私が、この若い男と? 私は驚いた。そんな馬鹿な話しはない。私はそんな昔に生きてはいないし、そんな記憶はまるでない。でも? もしかしたら? 私はこの間ずっと不思議だと思っていた事について考えた。そして、思い当たる節があった。最初に男と会った時、私は男が吸血鬼と分かっても警戒しなかった。それどころか、男に欲望を感じた。そして、男が泣く姿を見て気を許してしまった。なぜだろう? だって相手は窓から侵入して来た吸血鬼だ。だから、もしかすると、遠い昔、私も生きていて、cが私の恋人だったのかも知れない。それで、朧気ながら男にcの影を見て、自分で十字架を外したのかも知れない。私も300年前に生きていた? cに「あなたは何歳なの? 私は何歳だった?」と聞くと、「思い出してくれた? 僕は26才。君は18才」と答えた。
この夜、cは事が終わった後、窓からではなく、女の死体を入れた袋を抱え、ドアを開けて帰って行った。私は、なぜだろう? 人生で体験した事がない安らぎを味わっていた。私が悩まされ続けてきた孤独感が消えていた。次の週、cはチャイムを鳴らしてドアから入ってきた。吸血鬼ではなく、人間として。もう女吸血鬼も連れていない。黒いマントも羽織っていない。男の普通の服装だった。住処にしていた郊外の古い屋敷にも火をつけて処分したという。そして、cは私を抱き、射精した。cは300年振りの射精だと言った。驚くほど沢山の精子が私のからだとベッドの上にまき散らされた。cの無精子症は回復された。もう私の首も咬まない。
思いがけない展開が続いた。私のマンションでcとの新しい生活が始まり、私は妊娠した。そして、こどもを産んだ。「」と名づけた。私は幸福な女になった。但し、男の命は長くはなかった。新しい生活は男には負担が大き過ぎたのだろう。男は急激に年を取り始め、環境に対する抵抗力も微弱だった様子で、2年後にあっけなく死亡した。それでも、病院のベッドの上で死んだ時、cの顔は美しく、安らぎに満ちていた。私の撮影は中断になったが、こうして私のテーマ「叶わぬ愛」は実現された。「叶わぬ愛」が私の強迫的テーマになっていたのは、私が300年前に恋人を失っていたからだったに違いない。Cは私の忘れられない初恋の男だったのだ。私のテーマは、実体を持っていたのだ。
4
『女優のレッスン~新・吸血鬼伝説』は、AV作品として期待以上の成果を上げた。ビデオとして発売した当初、業界での評判は散々だった。「陳腐な文学趣味」という予想通りの酷評の嵐。ここはそんな場所ではなく、ただ男たちに気持ちよく射精させればそれで成功だって。業界の評価が一変したのは、この作品が東京・秋葉原のアダルトショップのベストセラーになって評判になり、購買者にこれまでにない層が多く含まれている事が判明した時だ。オタクではない多くの男たちがこのビデオを買った。女たちも買った。その噂はたちまちネットに乗ってブレークしその波が全国に広がった。それで業界の態度が手のひらを返したようにガラリと変わった。一般の映画館からも上映したいという声がかかり、映画界からは一般の映画作品以上の作品が誕生したと評価された。AVとしても、一般映画としても、充分に面白いのだ。勿論一番喜んだのはキヨシだけど、私も嬉しかった。彼の監督人生に花が咲いたし、私も新しい時代のAV女優として歓迎された。一番評価されたのは、「この物語では、精神的愛ではなく、性欲が重要な役割を果たしている点」だった。普通は、精神的愛と性欲はつねに対立し、精神的愛は性欲の克服によってしか手に入らない。しかし、この物語では徹底した性欲の追求が精神的愛の扉を開くのだ。それは私たちの狙い通りだったので、キヨシも私も大満足だった。
5
しかし、栄光は長続きしなかった。まず、キヨシが予期せぬ心身の不調に見舞われた。原因不明。多分ストレス。そして、彼の視点から見て、私は彼にも想定外の暴走を始めたようだ。つまり、私の演技がエスカレートしたのだ。私は、彼が求める「快楽の極限」を実現する為には「演技」では不充分で、「実演」も必要だと考えるようになった。だから、彼も「えっ、そんな恰好で?」と心配するようなからだが露出する服を着て外出するようになった。角度によっては胸が丸見えで、下半身も下着が見える。その日の朝、私は「今日あなたが見たいものを用意するから、午後3時にこのホテルに来て」と言い残し、住所と部屋の番号を書いた紙切れを置いて出かけた。服装は「」そのものだった。彼は迷っているような顔をしていたが、来るに違いない。
私は、予約したホテルのスイートルームに3人の男を呼んでいた。この部屋には奥の大きなベッドルームと入口の応接室の二部屋があった。私は、彼がベッドルームの私たちの行為を応接室で覗き見する事を想定し、天井に隠しカメラを設置した。そして、カメラに小さなモニターを接続し、私に見えるようにベッドの脇に置いた。これで私は、彼が私たちの行為をどんな様子で見るのか、モニターで確認しながら進行できる。モニターの角度は工夫して、私の視線が彼に悟られる事がないようにした。3人の男は大学の演劇部の知り合いで、趣旨を説明し、高いアルバイト料を払っていた。
午後2時半に男たちがやってきた。挨拶もせず、お茶も出さず、無言のまま台本通りに行為を始めた。部屋のドアも、ベッドルームと応接室の仕切りも、少しだけ空けてある。男たちは、私を裸にし、持ってきたセーラー服を私に着せた。そして、すぐに私に対する愛撫を始めた。但し、セーラー服を脱がすのは私が彼らに合図してからと決めてあった。私は清純派の女を演じ、彼らに愛撫されても恥ずかしそうに身をよじるだけで、声は出さなかった。そして、午後3時少し前、私はモニターにキヨシが映っているのを確認した。やはり彼は来た。私は男たちに合図した。彼らは愛撫を続けながら、セーラー服を時間をかけて脱がし始めた。私は「いや、やめて」と声を上げて逃げた。彼らは私を捕まえ、一人が私の顔に平手打ちをし、他の一人が私の口を塞ぎ、首を絞めた。私は苦しそうに喘ぐ。残りの一人がセーラー服を脱がして私を裸にした。彼らのペニスは既に勃起していて、交互に私を犯した。私は最初は必死に身をよじって逃げ回り、声は出さなかった。でも、次第に我慢出来なくなった。私がのけぞり、何度も行くようになると、男たちは笑い始め、ますます興奮して交互に私を犯し続けた。そして、男の内の一人がカメラを取り出し、私の撮影を始めた。私は、恥ずかしそうにしながら自分で男たちのペニスを咥え、男たちの目を見て舐め回した。私は際限もなく挿入され、大きな声を出し、痙攣が止まらない。私はどんどん気持ちよくなった。この間、約30分。もちろん、私は、快楽に身を委ねながらも常にモニターを見ていた。彼は、最初の内はじっと見ていただけだった。でも、私の予想通り、ついに我慢出来なくなったのか、自分でペニスを握り、ベッドの上の私たちの光景を見ながら自慰を始めた。そして、すぐに射精したようだ。すると、彼は突然立ち上がり、ドアに向かって走り、そのままモニターから姿を消した。
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私が彼のマンションに戻ると、彼はまだ帰っていなかった。そして、明け方の5時に帰ってきた。どこかで転んだのか、膝から血が滲み出ていた。疲れた様子で、彼の目だけが血走っていた。どこかを彷徨っていたに違いない。そして、玄関を入り、私を見るなり、彼は泣きながら私の顔を殴り始めた。何度も殴った。彼の怒りは収まらず、今度は足で私のからだを蹴った。何度も蹴った。私は抵抗しなかった。鼻血が出て、からだのあちこちに傷が出来、私が血まみれになっていく。あの美しかった女吸血鬼みたいだ。彼が私にこんな真似をするのは初めてだった。彼が怒りに震え、でも悲しそうに「何で、わざわざ実演するんだ?」と詰め寄ったので、彼女は一言だけ「あなたの為よ」と答えた。
「ウソだ。僕の為じゃない。自分の為だろ?」
「何を言ってるの。酷い事は言わないで。あなたの為に苦労してるのに」
私は弱ったからだを起こし、ソファに座った。何で殴るのという目をして彼を見た。彼は本気で怒っている。
「じゃ、なぜだ?」
「何がよ?」
「今日、お前は俺の演出の時よりもっと気持ちよさそうだった。俺の目は誤魔化せないぞ。そうだろ? 今日が一番感じて、自分でも驚いていたんだろ? 出した声も全部本気だっただろ?」
「そんな事はない。全部演技よ。あなたの為に演技したのよ。男たちも私の演出で動いていただけよ」
「ウソだ。ウソをつくな。もう頼むからウソは止めてくれ」
彼の怒りは収まらず、また私の顔を殴り、からだを蹴った。そして泣き続けた。流石に私も彼の様子を見て、やり過ぎたかも知れないと思った。
「わかった。ゴメン。もうしない」と謝った。そして私はヨロヨロと立ち上がり彼を抱きしめた。私も泣いていた。
しかし、私はその後も繰り返した。彼も懲りずに私のショーを見に来た。シーンは更新され、考えられる限りの演出が出揃った。男も5人に増えた。北欧の性具も使われ、男たちはおもちゃの蛇を私の口や鼻や膣や肛門に入れて興奮している。私は苦しくて死にそうになっている。あらゆるサド・マゾショーが展開された。ショーの最後には私は縛られ、空中に吊るされ、そのまま犯された。そして、ショーの度に彼は私を見て自慰をし、射精した。こうして、私が彼を怒らせ、嫉妬させ、私が謝るという、いつ果てるとも知れないゲームが始まった。私が謝る時はもちん真剣だ。彼と一緒に本気で泣いている。しかし、平気でウソをついた。我ながら、私自身が病みつきになっているとしか思えない。私が楽しんでいる。麻薬と同じだ。何度も同じ過ちを繰り返す。その内、彼は私を殴る気力も体力も失くした。泣くのも疲れたようだ。やがて彼は憔悴し、威張り散らしていた彼がウソのように大人しい男になって行った。彼は弱い。彼は自分から私のショーを頼み、衰弱した性の虜になっていた。もう彼は完全に私の言いなりだ。
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私は、キヨシがわからなくなった。つよい男なのか、よわい男なのか。「俺は敵なし。どんな女でも落とせる。ものにした女は100人は下らない」と豪語していたのは彼である。「究極の快楽」を追求したいと言ったのも彼であり、私じゃない。私は彼を愛したわけではないけど、ムリがない範囲で彼の思いを適えられるならそうしたいと思うようになっていた。私の才能を引き出すのに大きな役割を果たしてくれたし、感謝の思いはつよい。だから、彼が望んでいた「究極の快楽」を提供してあげただけ。彼が「それはお前にしか出来ない」と頼んだから。そうではなかったの? そして、作品の中だけでは充分ではないから私が考えた「実践」も自分なりに工夫してやってみた。その過程で私も自分の性癖を隈なく知り、それを高める技術も学んだ。でも、全ては「究極の快楽」を求めた彼の為なのだ。彼は疑ったけど、それは本当なのだ。参加してもらった男たちには謝礼として毎回お金も払ってきた。私も苦労したのよ。私は彼の期待に応える為にやっただけなの。
もちろん、私が快楽を味わった事は確かだ。私にはキヨシのような被虐的欲望はないけど、彼の目の前で複数の男たちと関係を持つことは嫌じゃなかった。と言うか、何度やってもかなり興奮した。だから、私も過激になって行ったのだ。演出もいろいろ趣向を凝らして試してみた。それが、或る日を境に彼の元気が急速に衰えて行った。私と出会った頃は「オレ、オレ」と威張っていたのに、最近は私と話す時は「僕」に代わり、まるで変わった。出会ってからまだ2年よ。人間はこんな風に変わるものなのか? 時々彼は憑かれたように狂暴に振舞うことがあったけど、それも今では見る影もない。彼が私を殴った最初の日、本当は私は彼の狂暴さが復活するのかと密かに期待した。狂暴さも、私がコントロールできる限り、性愛の高揚に必要な要素として機能するからだ。私は大人しい男とするよりは、狂暴な男との方がずっといい。でも期待はずれだった。
キヨシと付き合い始めてからちょうど2年目の日、私は彼の弱みを知った。彼は母を知らず、マザーコンプレックスだったのだ。
「」以来、私たちは週に3日はセックスするようになっていた。演劇部でも私たちは恋人同士と思われるようになっていた。部長も他の部員たちも私の最初の頃の彼に対する冷たい態度をよく知っていたので、私の変わりように驚いていた。彼は人前でも私を傍から離さなかったし、私も満更でもない顔をしていた。彼は私を自分のマンションに泊まらせるだけではなく、沖縄の別荘にも連れて行くようになった。私はすっかり気に入られた様子。沖縄では浜辺でもよくセックスした。青く透明な海の中で裸で愛し合うのは最高だ。山中でもよかった。お化けが出そうな共同墓地でした時の、恐怖に満ちた快感も忘れられない。そして、何度もセックスしている内に、私はこれが彼の弱点かと思われる様子を見るようになった。セックスの後彼が子供のように涙を流すようになったからだ。私が「どうしたの?」という顔をしても彼は答えない。そして、そんな光景を何度も見ている内に私はもう彼を警戒する必要がない事に気づき、喋り始めた。彼に発した第一声。
「キヨシの家族は? 聞いた事がないけど。部屋に写真がないわね」
彼は「おっ、ついにカオリが喋った! どうしたんだ?」と言って驚いたけど、すぐに下を向いて黙ってしまった。人に聞かれたくなかった話しなのだ。それでも私は聞いた。
「家族はいないの? ねぇ、話してみて」
「オレは誰にも父や母について話した事はない」
珍しく静かな声だ。私の顔も見ない。
「何があったの?」
「ごめん。話したくない」
彼は買い物に行くと言って外に逃げてしまった。それから1週間が経ち、彼が話し始めた。
「オレは母に会った事がない」
「そうなんだ。でも、なぜ?」
「オレが生まれてすぐ家出したから。オレには母の記憶がない」
「家出?」
「そうだ」
「お父さんは?」
「オレの記憶では6歳の時に親父に聞いたけど、何も答えなかった。親戚の叔母の話しでは母が家出した時、親父は黙って見ていたらしい。何もしなかった。信じられない」
「お母さんの写真は?」
「親父が全部捨てた。親父は自分の写真も捨てた」
「お父さんは今どうしてるの? 兄妹はいないの?」
「一人っ子だよ。親父もオレが中学生の時に家出した。家にはオレしかいないのに家出なんて変だう? オレは一人になり、それ以来親類に預けられた。今親父が生きているのか死んでいるのか、オレは知らない。それから不良グループに仲間入り。誰もが辿る転落のコースさ。ただ本が好きだったので、一人で勉強するようになった。それが唯一の救いだった。オレの人生が始まったのは、親類の援助で大学受験で有名な東京の高校に入る為に鹿児島の田舎町から引っ越してからだ。勉強だけは出来た。毎日本を読んだ。俺は自由になった」
彼の境遇はかなり複雑だ。私より大変だったのかも知れない。それにしても、本が好きだったとは? それは私に似ている。それで大学の文学部の先生になった。本好きが私たちの縁結びになったのね。彼は泣き始めた。一度泣いたら止まらなくなったみたいで、さらに本気で声を出して泣いた。まさに号泣。私はそれまで彼が涙を流すのも見た事はなかった。こんな風に泣く彼を初めて見た。
その日以来、彼の私に対する態度が変わった。私も彼に優しくなった。大学では私以外には相変わらず高慢に振舞っていたけど、私には驚くほど従順になった。「オレ」と言っていたのが「僕」になった。そして、出来るだけ何日もマンションに泊まりに来て欲しいと言い出した。私が朝ベッドで目を覚ますと、彼は私の乳首を口に入れて眠っていた。私の手も握っている。そうか、彼はマザーコンプレックスだった。彼は父を軽蔑し、母には会いたいのだ。
私が彼の経歴をもっと早く知っていたら、男に支配されない為のテクニックを磨くのも控えただろう。少なくても彼に適用するのは止めただろう。でも私はそんな彼のマザコンを知らなかった。ただ自分のAV女優の仕事に夢中になっていた。
第4章 出家
1
僕は考えた。
僕は今まで一度でもカオリを自分の女に出来た事があるのだろうか? 彼女との関係は一体何だったのか? 僕はいま疲れ果てている。生きる気力を失っている。彼女のショーを見て一人で射精する度に自己嫌悪を深め、作家としての自信も失くしていく。新作を書く気にはなれない。これが彼女と追及した「新しい物語」だというのか? とんでもない。それも、僕の一番の苦しみは彼女が自分の内心を僕に一度も語った事がないという事実だ。それが本当に辛かった。二人の関係は、愛し合う関係からはるかに遠い。確かに彼女は僕の要求を拒まず、何でもしてくれるようになった。AVで人に自慢できる作品が出来たのも初めての経験だし、僕が彼女の才能を発掘するのにも役立ったはず。彼女の名前も売れた。しかし彼女は自分では何も語らない。僕は彼女の歴史を何も知らない。なぜ家出したのか? 海外で何をしていたのか? 何か収穫があったのか? 彼女の父とはどんな人間だったのか? 僕は何も知らず、彼女は本当は何をしたいのか? 僕には見当もつかない
確かに、快楽については、僕が最後に衰弱したとはいえ、彼女と共に一定の成果を収めた。しかし、快楽の果てには「悲哀」が待っている。どんな快楽にも終わりがある。サド侯爵が認識したように。永遠の上昇曲線などは存在しない。「快楽の極限」が維持される事はない。その先にあるのは衰退だけ。それが性欲の宿命なのだ。そして僕はいま、その生き証人として、正に衰退の真っただ中にいるわけだ。
2
恋愛病。なぜ、僕が、こんな病気に?
想像もしていなかった。僕が女に支配されるなんてあり得ない。ずっとつよい男としてやって来たからだ。しかし、カオリのショーが始まったあの日以来、僕は元気を失くし始め、自分の異変に気がついた。挫折。重症だ。
カオリは、自分の「実演」で僕が大変な事になった後、僕が本当に衰弱している事がわかりショーは中断してくれていた。それでも彼女は、僕が休養の為監督業を中断してマンションの部屋に籠るようになった後も、AV女優は続けていた。僕の代わりに仕事をしなければならない機会も増えていた。その関係で夜遅くなることも多くなった。僕は出来れば自分の車で彼女を送り迎えしたかったが、僕は車の運転も出来ず、彼女は電車を利用していた。
最初は、僕が時計を病的に気にするようになった。そして、自分の心は自分で制御できるという自信があったのに、まったく制御できない自分を思い知らされた。僕は、いつからか、カオリが仕事に出かける準備をはじめる度にそわそわし始め、内心ではそんな化粧でそんな服を着て出かけるのはやめてくれと願うようになっていた。しかし正面から彼女に言えない。命令する力を失くしている。玄関を開けて彼女が出かけてしまうと、僕はまるでお守りのようにケイタイを握りしめ、彼女が僕に電話すると約束した時間まであとどれだけあるのか、それまでどうやって耐えるかだけを考えるようになった。そして、約束の時間が近づくと、居ても立ってもいられないからだの震えに襲われた。耐えられず、ケイタイを握りしめ、深呼吸をしてマンションの外に飛び出すのだった。そして、いつもの道を歩き、いま直ぐに電話してくれと彼女に祈り、約束通りに電話があると涙を流して喜び、「アリガトウ、タスカッタよ!」と泣いて感謝した。それが1分でも遅れると、僕の脳裏には彼女が他の男と関係して声を上げている姿が浮かび、完全におかしくなった。酷いパニック症状だ。僕は、通りであれ何かの店の中であれ、大声を出して彼女の名前を呼んだ。通行人や周囲の者たちは驚いて振り向き、奇異な顔をして私を見ていた。
或る夜の事だった。カオリは終電が過ぎても家に帰って来なかった。僕は彼女が仕事に出て遅くなる日はかならず駅の改札に迎えに出ていた。しかし、その夜は、こんな夜がしょっちゅうになるわけだが、約束の時間に改札に姿を見せなかった。僕は半狂乱になっていた。その後彼女から電話があり、終電に乗り遅れたので今タクシーで家に向かっていると言う。心の病気は本当に恐ろしい。自分がこんなやわな精神をしているとは、この時まで知らなかった。こんな僕の仕事がやくざな風俗作家でAV監督なのだから、我ながら呆れる。僕が培ってきた力は、僕が陥った恋愛病には全く無力だった。恋愛とは、自分の魂を相手に無警戒で差し出す行為なので、相手が悪意を持っている場合はヒドイ目に遭う。外部に出てしまった魂を傷つけるのは簡単だ。相手が悪ければ完全に支配下に置かれる。魂はいとも簡単に傷つけられ、ひねりつぶされる。僕は、魂を自分で守ることがもはやできない人間になっていた。僕は、改札口に一人立ち、彼女が他の男と寝ている姿を想像した。それがものすごくリアルなイメージで、僕の魂は完璧に傷つき、致命傷を負った。以前のように、その想像で僕が彼女に欲望するならまだましだった。しかし、そんな精力はもはやない。確かに、彼女に僕に対する悪意はなく、彼女の浮気は僕の妄想に過ぎないのだろう。彼女は僕に本気で優しくなっていたからだ。「浮気はもうしない。その必要がなくなったから」と彼女は言っていた。そこにウソはないと僕も信じていた。しかし、記憶は怖い。妄想は怖い。過去と現在の時間は容易に入れ替わる。いくら理解しても、僕の脳からは彼女が他の男と関係して恍惚の表情を浮かべている姿が消えない。今もそれが鮮明に蘇っている。それだけで僕には充分に致命傷だった。
この夜を境に、僕は完全な病人になった。カオリに泣きつき、出かける場合は必ず1時間おきに僕に電話すると約束してもらった。彼女も僕が病人になっているとわかっていたので「いいわよ。1時間おきね」と言った。本当に彼女は浮気を止めたのか。僕に自信はない。ただ自分の口から浮気はやめてくれと何度も念を押す事は出来なかったので、せめて電話だけはしてくれと頼んだのだ。その時間に本当は何をしていたかなどは聞きたくもない。ウソかも知れないと想像するからだ。ただ電話してくれればいい。それだけで、その瞬間だけは彼女の気持ちが僕に向っていることを確認できる。それだけで僕は安心なのだ。魂が幸福にふるえ、安らぐのだ。だが、その効果はせいぜい1時間しか続かない。だから1時間おきに必要なのだ。彼女も最初は怪訝な顔をしていたが、僕の様子を見てその通りにしてくれるようになった。
しかし、1時間おきに電話するなんて誰が聞いても馬鹿げている。でも僕の狂乱はウソではなかった。何度も道の真ん中で大声を上げて叫んだ。「早く電話して。なぜ、遅い?」。こうして、彼女は1時間毎に僕に電話し、僕は1時間毎に天国と地獄を往復することになった。
そして、これこそが病気なのだ。つまり、1時間が30分になり、最後に10分になったからだ。カオリから電話をもらい、5分もすると、僕はもう耐えられくなり震え始めるようになった。10分おきの電話。まさに狂気の沙汰だ。いくら彼女でももう付き合えなかった。彼女は僕に「病人」という判断を下した。そして、僕は彼女に連れられて東京の慶応大学付属病院の精神科の診察を受け、強度のうつ病とそれに伴うパニック症候群という診断を受けた。僕は1ヶ月程度の入院が必要と判断され、抗精神薬の他につよい睡眠薬を処方され、一日中ベッドの上で眠って過ごした。彼女からの電話も不要になった。彼女が僕が治るまでという約束で、病室に住み込みで僕の面倒を見てくれる事になったからだ。それが許可されたのも、うつ病の症状として僕に自殺願望があったからで、誰かの付き添いが必要という判断だった。彼女は昼間に僕が寝ている間に2時間ほどマンションに戻り、洗濯や家の用事を済ませた。病室の中に彼女の机とベッドを置き、彼女も病室で生活するようになった。入院費用は飛びぬけて高かったが、僕には余裕があった。そして、彼女が四六時中僕に付き添ってくれたお蔭で、僕は心から安心し、ぐっすり眠るようになった。僕の回復は早く、元気を取り戻し、予定の1ヶ月より早く2週間で退院できた。
僕は、自分をノーマルな精神の持ち主だと思っていた。生い立ちのせいなのか時々狂暴な怒りに襲われたり、倒錯的な性癖も持つようになったとはいえ、それも正常な人間の範疇だ。異常ではない。それが、最初は軽い傷口だったはずなのに、見る見るうちに広がり、僕の精神を破壊するまでに成長して行ったのだ。僕は、ノーマルな人間でも簡単にこうなるのだという事を知った。
3
退院後、僕はカオリには内緒で或る教会に通うようになった。魂に対する救済が必要とつよく感じるようになっていたからだ。彼女に助けられて僕はうつ病とパニック症候群から解放されたわけだが、彼女との関係が崩れたらまた再発するかも知れないという恐怖が残った。一度傷ついた魂は壊れやすくなっている。どんな他者にも頼らない根本的解決が必要なのではないか。その為には最後の手段として宗教しか残されていないのではないかと考えた。
カオリが僕に優しくしてくれるようになったとは言え、彼女がAV女優で外に出掛ける生活が変わったわけではなかった。嫉妬と妄想の対象に戻ってしまう可能性は残されていた。AV女優を止めてくれとは言えない。僕が導いた道で、彼女の生き甲斐になっている仕事だ。その為、いくら努力してもダメで、彼女が一人で出かける度に僕の手が無意識にケイタイを握り占めるようになっていた。僕の恋愛病は完治していない。
或る日、僕が久ぶりに用事で一人で外出した夜。帰りの電車の中で突然カオリが浮気しているという妄想に捕らわれ、急いでつよい睡眠薬を飲んだ。これがまずかったわけだが、電車の中で完全に眠ってしまい、目が覚めた時には東京圏外の寂れた駅だった。駅名を見ると0000。千代田線の終点の我孫子駅から成田線に入った最初の駅だ。無人駅で、ホームにも駅舎にも明かりがなく、周囲は真っ暗だった。夢遊病者みたいに、間違って乗り継ぎこんな所まで来てしまったのだ。終電はもう無い。タクシーで帰ってもマンションまで3~4時間はかかりそうだ。それにタクシーなんてない。駅舎の前の道路には車も通っていなければ、人も歩いていない。僕は彼女に連絡もせず、自分が世界の辺境から宇宙にはじき出された人間であるかのように感じた。始発が来るまでの5時間余り、僕は寒さに震えながらホームに一人で立っていた。僕が人生で体験した一番の孤独の夜だった。
教会に行ったのは、まさに藁にも縋る思いだったからだ。救いが欲しかった。この教会がどんな教会なのか、詳しく調べる余裕はなかった。ネットで調べただけの教会だった。カオリは僕を守ってくれる存在でも、同時に僕に傷を与える可能性を持つ張本人だ。彼女ではなく、これまでにないものが必要だった。しかし、僕はやがてこの教会が怪しい事に気が付いた。信者を集めてくるように説得されるようになり、高額な献金も要求された。慌てて調べ直したら、この教会がカルトと噂される団体である事を知った。次の日から行くのを止めた。
そして、僕が恋愛病から脱出できたのは、教会からの脱会を決意できた日だった。僕の決断が僕を目覚めさせた。その日、教会に一方的に脱会を告げて帰り道を急いでいる時、僕はケイタイを家に忘れてきた事に気がついた。ケイタイは僕の必須の携行品になっていたので、家を出る時には必ず確認している。そして、「なぜ忘れた?」と思った瞬間、僕の心が「必要なかったから」と答え、「なぜ必要なかった?」と問うと、僕の心が「治っているから」と答えた。それで、この一瞬のやり取りを通して、僕は「あっ、治ってる」と気がついた。実際、僕の心の中を覗くと、カオリに対する執着心がキレイに消えていた。彼女と離れている時には、いつも「彼女はいま何をしてる?」と疑う事が習性になっていた。しかし、その時はその疑いがなかった。つまり僕は彼女を忘れていた。忘れる事が出来ていた。僕は常に彼女の事を考えていて、彼女に縛られていた。有難う。僕は彼女から解放されたのだ。この日に見た「空の青さ」を僕は一生忘れないだろう。美しい空だった。何年ぶりに僕は空を見上げただろうと考えた途端、どっと涙が目から溢れ出してきた。久しぶりに泣いた。彼女の前で大泣きしたのは覚えている。それ以来、久しぶりの大泣きだった。僕は本当は泣きたかったのだ。薬も不要だ、ただ泣けばいい。僕の心には泣いても尽きない涙が底無し池のように溜まっていたのだ。
僕は思い出していた。慶応大学病院の精神科の先生に退院しても油断してはダメですよと注意されていた事を。うつ病もパニック症候群も、ちょっとしたきっかけで簡単に再発するらしい。特にうつ病は怖いらしい。そして、僕の心からカオリに対する執着心は消えたけど、僕は毎日経験した事がない疲労を感じるようになっていた。ダルいのだ。何もしたくない。ひどい頭痛も直らなくなり、気持ちがひたすら落ち込んでいく。心配になり、僕は一人で慶応大学病院の精神科に行った。同じ先生がいて、うつ病が再発していると診断された。
僕は一つの思いに捉われるようになった。カオリと一緒に心中しよう。二人でこの世から姿を消すのだ。心中だけが僕を楽にすると思い詰めるようになった。それ以外に僕がこの疲労から解放される事は考えられない。むろん彼女に心中の相談なんてできない。彼女が「いいわよ」と頷くはずがない。いよいよ僕は変で、うつ病の最大値で、自殺願望に捉われている。しかも彼女に無理心中を強いる最悪の方法だ。しかし毎日その思いが募っていく。それで一度、彼女が疲れて帰って来てすぐにベッドで眠ってしまった夜、僕は彼女に「0000」の注射を打ち、僕にも打った。僕は「0000」を隠し持っていた。そしてガス栓をひねった。これで死ねる、これで楽になれるという感覚が無限に平和な感じを僕にもたらした。僕はベッドの上の彼女の隣に横たわり、静かに目を閉じた。
病院で目覚めた時、一瞬の隙で助かったことを知らされた。昨夜は偶然にも、僕の部屋でカオリを交えた急ぎの仕事の打合せの約束があった。僕はそれを忘れていた。彼がマンションを訪ねてきた時、ベルを何度押しても返事がなく、僕とカオリのケイタイに電話しても二人とも出なかった。不審に思い、彼が玄関の扉の新聞受けを開けると中から強くガスの匂いがした。それで彼が急いで警察に電話し、10分で救急車が来て、警官に促されたマンションの管理人が玄関の扉を開けたのだ。病室では、病院から連絡を受けたという彼女の母が彼女に付き添っていた。彼女も無事だった。静かに眠っている。僕には当然ながら誰も付き添いがいない。夢の中で母が一瞬だけ現れた気がする。病室に医者が来て、さきほど警察が来ましたと言った。「0000」の注射について不審な点があるので医者が警察に連絡したという。明日にでも、僕の回復の様子を見て刑事が聞きたい事があるそうだ。僕は多分無理心中の罪で逮捕される。どれ位の罪になるのかはわからない。彼女の母は僕を見もせず、完全に無視して、僕と話す事はなかった。
死に取りつかれた人間が、みかけは大人しくて見えても一番危険なのかも知れない。僕は、死ぬなら自分一人で死ぬべきだった。次はそうしょう。死の瞬間は一人だし、カオリが隣にいても関係ない事もわかった。死に至るまでの「あの感覚」がどんなものか、それは掴んだ。鮮明に覚えている。あの「感覚」を目指して、次は僕は自分一人でやれる。彼女は僕のマンションを出て、母の松戸の家に帰って行った。その日彼女に「さよなら」と言って以降、僕が彼女に会う事はもう二度となかった。2年間の短い付き合いだった。有難う。彼女には本当に世話になった。
4
カオリは、何をしていても、いつもどこか遠くを見ていた。それがどこなのか僕には見当もつかなかった。彼女は僕の恋人になり、AV女優になったが、自分のことは深く話さず相変わらず冷たかった。途中から話し始めたけど、本質的に僕には冷たかった事に変わりはない。彼女は別の世界に住み、僕には大切な自分を隠したままだった。
僕は死に場所を求めていた。しかし心中事件で、それは自分一人でやりなさいと言われたわけだ。僕はそうしようと考えた。演出家になる前、大学院を卒業したばかりで学者を目指していた頃だ。性についての教えを仏教の0000に探している内に、チベット仏教の死の教えに夢中になったことがあった。思い出した。チベット仏教ではボアという「死の瞬間」がよき輪廻の為に重要だと詳しく説明されている。僕は輪廻を信じる事は出来なかったので、輪廻に不可欠とされるボアの儀式を体験したいと思ったわけではない。ただボアには、何か特別にユニークな秘密があると感じた。
それで僕は、自殺する前に、チベット仏教をもっと学びたいと思い、調べ始めた。そして思い切ってカトマンズに移住した。日本で学ぶのではなく、カトマンズで直接学びたいと思ったのだ。マンションと沖縄の別荘は人に貸した。もうカオリには何も相談できない。だから彼女にハガキも出さなかった。ただ僕は一人で死についてもっと考え、いつかは死を実践したいのだ。その学びに必要な場所がカトマンズだった。そして0000寺院の見習い僧になった。
しかし、1年滞在してわかった事がある。それは人間の感性を変えるのは難しいという事。チベット仏教の教えは素晴らしかった。特に生と死に対してドライに振舞えと説く教えが素晴らしい。葬式では、生者を悼んで泣くのではなく、酒を飲んでお祝いするのがいいそうだ。つまり、生者は輪廻でよりよい土地に旅立つのだから、お祝いをしないといけない。泣いていると、その涙が生者が歩く道を濡らし旅立ちを邪魔する事になると言う。素晴らしい教えだ。しかし、チベットの気候が僕に合わなかった。水も。食べ物も。特に水が合わなかった。この地で死にたいと思っていたがダメだった。からだ全体に拒否反応と思われる湿疹が出ていた。感覚は思考につよい影響を与える。半年後、自分の思考が下降気味になっていた。1年後、僕の体調不良と落ち込みはチベットの気候と食べ物が原因だと確信するようになっていた。つまり、人により違うだろうが、チベットは僕には合わなかったのだ。
仕方なく日本に戻り、見つけたのが京都盆地の北の奥にある小さな0000寺という禅寺だった。ここでも見習い僧として弟子入りする事が出来た。僕のマンションと沖縄の別荘は売り、お金は日本赤十字社に寄付した。死ぬ事を決めた人間に金は不要だ。髪をそり、見習い坊主になった。早朝4時に起床し、夜8時まで。掃除・座禅・食事・作庭・休憩・読経が日課になった。夕方2時間の休憩がある。休憩? 僕が調べた限り休憩があるのはこの寺だけで、他の禅寺にはなかった。作庭があるのも珍しい。それはプロの庭師の仕事なので。何か考えがあってそうしているに違いない。この規則的な時間割により、僕は適度に疲れ、眠れるようになり、心の健康を回復できた。ぐっすり眠れるようになった事が何よりも嬉しかった。眠れなかった事が病気の最大の原因だったから。
それにしても、この寺は変わっていた。住職が変わった人だった。門を潜ってすぐ、左右に二つの砂の山があった。何か特別の美を感じた。作庭の時間に僕も作業に加わるようになったが、砂を平らに盛ることがこんなに難しいとは思わなかった。池の端にある大きな水貯めには一輪の花を浮かべる。一輪だけだ。水に花を浮かべる加減が難しい。そして、寺を訪れた最初の日に驚いた。住職との面談が終わり見習い僧を許されて帰る時、庭の隅っこに立っていた三重の塔の裏に、人目を忍ぶような風情で風変りな塔が立っていた。どう見ても、仏教に関係があるとは思えない。現代彫刻そのものに見えるからだ。SF好きなら「禅寺に、宇宙への通路?」と思い喜ぶに違いない。そして、門を出て参道を歩くと、来た時には気づかなかった鋭角に切った背の低い柱が両側に何本も立っていた。近寄って触ってみると水晶だった。翌週、僕は休憩の時に住職に聞いてみた。僕が予想した答えとは違っていた。住職は少し笑い、「気がつきましたか? 作家をやっていただけありますね。檀家の皆さんからの寄贈ですかとよく聞かれるのですが、実は違います。まぁ、ちょつと因縁のある私の作品ですね。1年に一度新作に入れ替えます」と答えた。「えっ、住職が?」と僕はとても驚いた。
「意外でした。でも、なぜ? 住職は彫刻家もやっていられる?」
「いえ。素人の物まねですよ」
住職は笑っている。住職に興味が湧いてきた。
「そんな。とても素人の作品とは思えません」
「お褒めの言葉を有難うございます。でも、この件は私にも不思議なのですよ。もう一度作れと言われても私には出来ません」
住職は不思議な事を言う。
「どうしてですか?」
「訳がありまして。1年に一度、私の夢の中に作品の像が現れるのです。初めは意味がわからずほって置いたのですが、毎晩夢の中に現れて、誰かの声もするのです。でも小声で聞き取れません。私の呼吸も浅くなり、息苦しい時間が続くようになりました。高い山に登った時の高山病に似ています。檀家の一人に夢分析で有名な大学の先生がいたので相談したところ、同様な例を知っているという。先生によれば、形として作ってあげればその像が持っている怨念も消え、夢も消えるとの事。呼吸困難も直るらしい。像が怨念を持っているとは? はて、どういう因縁でしょう? とにかく素人なりにやって見ると、その通りでした。作ったその夜からその夢が消えました。息苦しさも直りました。私は気に入って寺の他の場所にも同じものを作ろうと試みたのですが、もう像が思い出せなくてダメでした。そして、毎年大晦日の夜中から明け方にかけて別の新しい像が夢に現れるようになったのです。本当に驚きました。前と同じで、作れば消えて、作らないと私の息苦しさが増すのです。そして、その点も不思議なのですが、一度作った塔を撤去しないと夢の中の像の鮮度が落ち、よく見えないのです。それで撤去してみると、何と鮮明になりました。その繰り返しがもう10年になります。毎年作り続けています。何とも不思議な因縁です」
僕も聞いた事がない話しだった。面白いと思った。
「その像が塔の設計図なのですね?」
「そうですね。正面から見た像。脇から見た像。上から見た像。3つの像が交互に現れます。私はただその通りにやれば出来ました。そして作り終わった途端に消えてしまいます」
「この体験で住職には何か変化はありますか?」
「ありますね。影響を受けています」
「どんなものでしょう?」
「私の死者に対する意識です。私が学んできた仏教の教えとは違うかも知れません。私の推測では、像はこの世に未練を残し成仏できずに苦しんでいる一人の死者で、この寺に救いを求めています。私が像をこの世の形にすると満足して消えていくのではないか? つまり仏教が考えてきた死者とは違うものを生者に求める死者もある。仏教の考えでは、弔いを求めて死者が縁ある生者を訪れますが、でもそれは静的なものですね。でもこの死者は、言ってみれば動的で、それよりつよい行為を生者に求めています。何しろ私が彫刻家の真似をするのですから」
「それはどういう事でしょう?」
「私は最近考えるようになりました。恐らく50年後、いや100年後には墓の在り方が変わるかも知れません」
「墓が?」
「そうです。死者の在り方が仏教の教えと違って来ているとすれば、死者に沿った供養の仕方にも変化が必要です。仏教では墓はその供養の象徴なので。それで、墓の在り方の変更が求められる事になるのか。墓自体が不要になるのか。それが私の思索のテーマになってきました」
「墓が不要になれば、どうなるでしょう?」
「墓を必要としてきた世界の宗教に激震が走ります。半分は消滅するのではないでしょうか?」
「住職の作られている塔が新しい墓だとか?」
「ひょっとするとそうかも知れません」
僕は、住職の推測が正しいとすればこんな住職の寺だけが生き延びる事になるのではないかと思った。僕が関係していた世界だけではない。いろんな世界が大きく変化するのかも知れない。
5
僕は、夕方の休憩の2時間、食事当番のない日に寺の裏山の山道を歩くようになった。西に行くと鞍馬山があり、東に行くと竜安寺があった。登山道がある地域とない地域では、山の雰囲気がまるで違う。僕の0000寺の裏山には登山道はなく、どこか獣の匂いがしていた。ある日、別れ道があるいつもの分岐点に立った時、不意に向こうの崖沿いに白い大きな犬が現れた。かなり大きい。白熊か? でも白熊がこんな所に住んでいるわけがない。やはり犬だ。僕をじっと見ていた。犬の方に歩き出そうとした途端、犬はフッと姿を消した。急いで犬を追いかけたが、山の向こう側にも犬の姿はなかった。それでも僕がいつもは通らないこの道を進んでいくと、突然視界が開け、花々に包まれた大きな平地に出た。こんな場所が寺から歩いて30分もしない距離にあったとは。僕は空を見上げた。ゆっくりと辺りを見回し、耳を澄ませた。風が吹いている。鳥の囀りが聞こえる。花々の香りがする。獣の匂いもする。辺り一面には荘厳な気配が漲っている。人が敬虔な思いを体験するのはこんな時なのだろう。
第5章 ボノボのように
1
キヨシと別れる頃、私は妊娠していた。
キヨシの子だ。他の男とセックスする時には避妊対策を完全に取っていたので、私にはわかる。初めての妊娠。でも彼の様子が変なので言わなかった。彼の心中未遂事件で私も死にかけ、回復した後も、こんな状態では話せないと思っていた。彼に恨みはなかった。それよりも、私が彼の病気にもっと早く気付くべきだった。彼が酷い電話魔になった時、最初は深刻に考えてはいなかった。彼にはもう他の男とは寝ないと約束したけれど、実際には何度も寝ていた。でも、彼の電話魔がどんどん酷くなり、10分に一度は電話してと言い出した時には流石に私もおかしいと気がついた。完全な病人になっている事を理解した。浮気も止めた。彼が元気でなければ私の性欲も衰える事を初めて知った。何と言う事か。最初はあれほど嫌っていた彼を私は愛し始めていたのだ。もう単なるセックスフレンドではなかった。こんなに彼を心配している事に気づき、我ながら驚いた。私が嫌がる彼を急かして精神科の病院に行った時、彼はパニック症候群と診断された。そして医者に別室に呼び出され、彼が重度のうつ病も発症しているので自殺予防の対策も必要だと言われた。私が病室に泊まり込んだのもその為だった。
その後、演劇部で聞いたウワサでは、彼は私と別れた後一人でチベットに行き、その後京都の山奥の禅寺に出家したそうだ。私は彼の消息は知らなかった。母につよく彼とはもう会わないでねと約束されていた。近くまた会えると思っていたので、自分でも調べなかった。
松戸の産婦人科病院で娘を出産した。お祖母ちゃんにカナコと名前をつけてもらった。私は23才になっていた。母に預けた貯金の使い道が決まった。お金はカナコのものだ。
私は、「ボノボの精神」を理解しない男や女とはもう付き合わないことにした。これが、私がキヨシと別れた後の結論だった。性の刺激を追求するのはもういい。充分に味わった。性欲という人間の本能について調べる内に、以前ヒロシが言っていた脳に刻まれた動物たちの性欲の歴史を思い出した。ヒロシは人間の脳には魚類・爬虫類・哺乳類の3段階の性欲が混じっていると言っていた。哺乳類でも一様ではない。どの性欲が強くなるかは人の性格や時期によって決まるらしい。自分でも調べた。辿り着いたのがボノボというおサルさん。ボノボは変わっている。性を避けるのでもなく、必要と感じた時には相手が男でも女でも寝て、しかし性に執着せず、開放的であること。支配欲が強い他のサルや人間とは大きく違う。ボノボのように、性を楽しみ、性を忘れる。これが性を乗り越えていく健康な精神なのだ。私はこれを「ボノボの精神」と呼ぶ事にした。ボノボは有名なので、多分誰かが同じような事を言っているかも知れない。私は「ボノボの精神」が気に入った。
2
私はキヨシと別れた後も成り行きで複数の男と性的関係を持った。そして、私に独占欲を持つ者は私から自然に去り、執着しない者だけが残った。彼らとは特別に仲良くなった。カナコも一緒の家族的付き合いが増えた。彼らの中には宗教的コミュニティに属している者もいたけど、私は好きではなかったから誘われても入らない。自分でそんなコミュニティをつくりたいとも思わない。だから、ただ親しい友達が増えていくだけだった。
性について、私は一つの結論に達したようだ。人間の世界で性愛技術は既に開発され尽くされている。人間のからだが今後根本的に変化するなら別だけど、このままなら新しい性愛技術が出て來る事はない。私もこの2年間で駆け足だったけど性愛技術のほとんどを体験した。もうセックスで私が特別な感情になる事はない。人間の他の欲望と同じで、それらの欲望の輪の中に納まっていればいい。私は性の山を登り、頂上にしばらくいて、既に下山した。性も卒業できる世界なのだ。そして、卒業できたらもっといい事が待っている事を知れば、こんな世界に留まってはいられない。つまり、この世界の先にもっと昇華された「美の世界」がいろんなバリエーションを持って私を待っている。
3
もちろん、ただ生き延びても、介護施設で家族が来てくれるのを待つだけの老人になってしまったらお終いだ。かなり悲惨。私はそれだけは避けないと。その為には自分の仕事からリタイアしないという事が重要なのだ。老いはリタイヤから始まる。そう言って過言ではないだろう。キヨシに連れられて沖縄に行った時、石垣島の老婆たちと知り合った。彼女たちは面白かった。70才はまだ青二才で、80才を過ぎてやっと一人前なんだって。凄い。つまり、彼女たちは80才から本当の人生の楽しみが始まることを知っているのだ。本当の人生の楽しみ? 素敵だね。そんな楽しみが存在する事を彼女たちは知っているので、リタイアなんてとんでもない、勿体ないと言うわけだ。素晴らしい。私にとってリタイアしなくていい仕事とは? そんなものがあるかしら? 私にも「生涯にわたるテーマ」に恵まれるだろうか? 若すぎる私には見当もつかない。でも、私の「お父さん探し」は? もし本当に死体で帰ってきたお父さんが偽物でまだ生きているのが真実なら、そんな仕事の一つになるかも知れない。そして、作家にも、日本にも宇野千代のような凄い系譜がある事を知った。彼女の最後の作品のタイトルは「私、死なないような気がする」だった。
4
私の男はまた行方不明になった。ヒロシと同じだ。キヨシは今行方不明で、彼の生死もわからない。彼は出家して1年目に彼の寺から行方不明になった。誰も真相は知らない。私はいつかはカナコの事を彼に知らせる必要があったので、3歳になったカナコを連れて0000寺を訪ねた。僧侶たちは皆親切だった。そして、寺の裏山で彼が姿を消した光景を見たという僧侶がいた。また別の僧侶は、彼が寺の隅にある彫刻の前で姿を消したと証言した。そして住職からはさらに意外な話しを聞いた。「」なのか?
いずれにしても、男を失うことが私の運命らしい。なぜ? どうしてこんな目に遭うのか? 二人とも行方不明だなんて。私は、こんな目に遭うのは私がもっといい男に出会うための試練なのだと思う事にした。つまり、私の成長のためなのだ。私にはもっと素晴らしい男が必要なのだ。
キヨシと暮らしていた最後の頃。彼には「君には作家になるセンスがあるよ。一気に読ませる力。僕も作家の端くれだから敏感だ。挑戦してみたら?」と煽てられていた。それで、軽い気持ちで、『女が男に支配されない方法~戦略としてのAV女優』という本を3ヶ月で書いた。彼がその原稿を彼の知り合いの出版社に送ったところ、何と0000新人賞を獲得した。そして出版され、何とベストセラーになった。何でこんな本が? 私が作家? AV女優の後に。一時的だったけど、私は流行作家という事になってしまった。その後の1年間、取材だインタビューだとかで私はあちこちに連れ回わされた。そしてどこに行っても最後は第2作を書くように求められた。しかし、書くタネとして持っていたのはキヨシとの性の体験だけだ。ヒロシとの体験は守秘義務があって書けない。フィクションとしても公にしないという約束になっていた。ヒロシの命に関わるかも知れない事だ。最悪の場合は私にも。それは私も了解していた。当然ながら、編集者に急かされてムリに書いた私の第2作は、各方面から酷評された。全然売れなかった。私も同じ評価だったので異存はなかった。それで簡単に作家の世界から撤退することにした。未練はなかった。
それでも、カナコが生まれた事で私は変わった。幸福になった。カナコも幸福そうだった。母も「これでやっと3人で落ち着けるわね。あなたは波乱万丈過ぎよ」と言い、満足そうだった。ただ、私の心は満たされず、「世界についてもっと知りたい」という思いだけが募っていった。
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