SPACE AGE 17, ILKAY’s ADVENTURE
/ 宇宙年齢17才、イカイの冒険
(Science Fiction)
Fumikodori Saito / 斉藤史子鳥
(抜粋 / excerpt)
In the 2050s, people are living on the Moon and Mars, and many extraterrestrial life forms have begun to be discovered. Life on Earth has also changed dramatically. In their daily lives, people have begun to wear and use robot suits as a sophisticated fashion item, treating them as their own avatars. In cyberspace, people are competing to raise excellent secretary robots using third-generation BMI systems, and have even acquired the technology to travel through space tunnels that allow them to travel freely between reality and Extra Dimension according to their abilities. As a result, politics, the economy, war, creative expression, communication, love, family, and death have all changed dramatically.
「人びとが月や火星に住み、多くの地球外生命体も発見されはじめた2050年代の世界。地球の生活も大きく変わった。人びとは、日常生活ではロボットスーツを洗練されたファッションとして愛用し、自己の分身として付き合うようになり、電脳空間では第三世代BMIシステムにより優秀な秘書ロボットを競って育て、さらには現実と異界の間を能力に応じて自由に往来できるスペーストンネルの通行技術を身につけた。その結果、政治も、経済も、戦争も、表現活動も、コミュニケーションも、愛も、家族も、死も、大きく変化した」。
{Table of Contents / 目次]
[Part 1 / 第一部]
● Episode 1 / 第1話
“Heart-Reforming Game has begun”
/ 『心改造ゲームがはじまった』
● Episode 2 / 第2話
“Inhabitants of Extra Dimension – Kibe, Tana, and Elena”
/ 『異界の住人たち~キベ・タナ・エレナ』
[Part 2 / 第二部]
● Episode 3 / 第3話
“Princess’s Dream, Cyber Site Istanbul”
/ 『王女の夢、電脳サイト・イスタンブール』
[Part 3 / 第三部]
● Episode 4 / 第4話
“Metatron’s Army Ambition and Strategy
/ 『メタトロン軍の野望と戦略』
● Episode 5 / 第5話
“Eckhart Army’s Human Space Plan”
/ 『エックハルト軍のヒト宇宙化計画』
● Episode 6 / 第6話
“Atom IV, Robot that can love Humans”
/ 『アトム4世~ヒトを愛せるロボット』
● Episode 7 / 第7話
“Space Flower Project – Destroyed Moon”
/ 『宇宙の花計画~破壊される月』
● Episode 8 / 第8話
“Attack towards Erika and Information War between Ikai and Eda”
/ 『エリカ攻撃と、イカイとエダの情報戦争』
● Episode 9 / 第9話
“Emergence of Big Family”
/ 『大家族の出現』
…………………………………
■主な登場人物
○イカイ 宇宙年齢17才。スペースチューブと秘書ロボットを開発し、電脳空間にスペーストンネルを開通させた。新・国連の『ヒト宇宙化計画』のリーダーとしてエックハルト軍を率い、メタトロン軍との情報戦争を指揮する。毎日、スペーストンネルを奔走し、世界中の失われた動物たち・死者たち・異星人たちとコンタクトを続ける。ニューヨーク市在住。独身。
○エリカ 年齢不詳。イカイの若き日の恋人。現在はイカイのマネージャーをつとめると共に、スペースチューブや秘書ロボットの販売会社コスモスを経営するやり手社長。一方で、世界中の若い女たちを対象とした『電脳恋愛塾』を運営している。エリカもスペーストンネル技術を習得し、イカイに誘われて『ヒト宇宙化計画』に参加した。東京都在住。独身。
○モトコ 年齢不詳。イカイの親友。電脳空間の最初の住人として世界的に有名な電脳戦士兼ハッカー。その初期には、現実を恐れて電脳空間にのみ住んだが、電脳空間が身体化され一定レベルまで進化した段階で再び現実での活動も開始した。『ヒト宇宙化計画』にも参加し、メタトロン軍との秘書ロボット使用による電脳空間での闘争では主任を務めている。イスタンブール在住。
○フジイ博士 102歳。人間の脳を連結させた社会脳の世界的ネットワークを実現させた天才的脳科学者。2035年に人類の火星居住開始を記念して新・国連が創設された際の、憲章の立案者。新・国連による『ヒト宇宙化計画』を構想してエックハルト軍を創設し、イカイをその最高指揮官に任命した。ニューヨーク市在住。妻と2人で暮らす。
○原アレノ 42歳。日本の大手ロボット会社を退職後、知的ロボット会社・ウランをつくる。「アトム4世~人を愛せるロボット」開発に成功した。フランスのロボット会社とシェアーNO1を巡る競争を展開し、海外でも急成長し忙しい。新・国連の『ヒト宇宙化計画』サポートメンバー。
○原ノア 17歳。アレノの娘。7歳で失明。スペーストンネル少年少女学校に入学し、フジイ博士との出会いにより失明を回復。脳の側頭葉を発達させ、言語野と視覚野に対する用途に応じた使用法を開発する。ボーイフレンドのアスカと共に宇宙開発士を目指し、火星基地からの惑星移住を計画する。
○アマ 公称33歳。元小学校教師・彫刻家。アルツハイマー型認知症の克服のために、某教団による『仙人プロジェクト』に被験者として参加。計画は失敗し、脳に致命傷を受け、長期の錯乱の時期を過ごす。イスタンブールのドイツ病院で奇跡的に回復した後、アマと名乗り、電脳サイト『イスタンブール』を主宰。電脳世界に君臨する闇の王女になった。
○斉藤テツロ 42歳。原アレノの古くからの友人。ネット事業家。アメリカ政府の人工脳研究所に所属する脳科学者としても秘密に活動する。脳改造のスペシャリスト。「脳さらい」として電脳サイト『イスタンブール』の興盛を手助けする。フジイ博士との出会いにより改心し、ニューヨークでBMI専門病院を開業する。
○斉藤アスカ 17歳。斉藤テツロの息子。高校在学中にネット事業を起こし成功するが、暴走し、失敗する。その後、父の勧めでスペーストンネル少年少女学校に入学し、ノアと出会う。ロボットスーツを組合わせた巨大イルカロボット操縦のスペシャリストになり、優秀な生徒になる。ノアと共に惑星移住を計画する。
○キベ 17歳。人間とサルの受精卵をつかい、ゲノム編集でベイルートの大学病院で誕生した半人間・半サルのクローン。動物の言葉と人間の言葉を自由に使い分け、足も手として使用可能なように進化させつつあり、失われた動物たちの代理人としてスペーストンネルに登場し、イカイと出会う。
○タナ 17歳。過去から来た少年。1870年代にチェコスロバキアのプラハで活躍した人形使い。死者たちが住む異界を大移動させ多くの並行宇宙に拡散させる計画をもち、死者たちの世界の代理人としてスペーストンネルに登場し、イカイと出会う。
○エレナ 17歳。2035年に地球人が火星に居住を開始した後の、火星で誕生した人類の第一世代。NASAの宇宙飛行士として有名なラッセル・シャワイカートの曾孫。イカイの夢に度々登場する美少女で、異星人たちの代理人としてスペーストンネルに登場し、イカイと恋に落ちる。イカイと共に『ヒト宇宙化計画』を新たなステップに導く。
○オスマン・ウイサル 70歳。中東某国の政治家。メタトロン軍の創設者。現在も続く、アメリカ連合・ヨーロッパ連合・ロシア連合・中国連合を筆頭とする先進国とアラブ諸国の対立を利用し、地球と宇宙に君臨する新しい中東王国樹立の野望を抱く。
○アジェイ 50歳。ロンドン生まれのアラブ人。メタトロン軍の科学リーダーをつとめる。ナチス優生学に取り憑かれ、全世界の120億人の脳を改造することで新中東王国に必要な「新民族」の創生を図る。その過激な思想は、中東各国からだけではなく、メタトロン軍の内部からも危険視されている。
○エダ 年齢不詳。メタトロン軍のリーダー。2037年に勃発したイスラエル・パレスチナの第7次中東戦争の功労者。イスラム過激主義をはじめメタトロン軍の政治方針については疑問をもつが、それらとはまた違う過激思想を持ち、その動向が世界中から注目されている。『宇宙の花計画』によるアラブ式新民主主義の実現を模索する。イカイの最大のライバルで、イカイ殺害を計画する。
○サイード・S博士 102歳。フジイ博士の親友。アメリカ国籍をもつパレスティナ人の元・宇宙飛行士で、世界の紛争に悩み続けてきた21世紀前半の最大の哲学者の一人。『ヒト宇宙化計画』の顧問を務めつつも、秘かにメタトロン軍のエダも支援する。行方不明になった元・妻とエダの探索を兼ね、大家族形成のために宇宙に旅立つ。
…………………………………
[序] 心改造ゲームがはじまった
1 イカイの夢
僕はまた夢を見ていた。
ニューヨークにある新・国連の『ヒト宇宙化計画』の会議の席上でのことだ。 会議が退屈になると、その応対は成長著しい僕の相棒のロボット・モリスに任せ、僕は10分くらいの短時間でも仮眠することにしている。会議の出席者は、一部の親しい者を除けば、その時僕のからだの表面を覆っているのがモリスであることに気づかない。モリスは、リアル空間では僕が着用するロボットスーツ或いは僕の分身ロボットとして働き、電脳空間では僕の秘書ロボットして働いている。
僕は今、モリスの内側で内緒で一眠りしているわけだ。それでも見かけは僕と同じだし、モリスの応対も僕とほとんど差がないから大丈夫だ。もちろん、モリスではどうしても対応できない込み入った話しになった時には、僕がモリスに起こされ、交代することになる。 僕は最近は特にひどく疲れている。会議の後にも重要な任務を控えていることが多いので、この方法はとても便利になった。僕は短時間の睡眠が得意だ。
そして、僕がモリスに隠れて眠っている間、モリスは同時に秘書ロボットとしてスペーストンネルを自由に飛翔できるため、それほど努力しなくても、僕は見たかった夢の続きを自然に見ることができる。
そう。いつもの夢の続きだ。
子供の時から繰り返し見てきた空を飛ぶ恐竜の物語と、いろんなことを教えてくれる死者たちと異星人たちの物語。なぜかその順番は変わらない。はじめに恐竜が出てきて、次に死者と異星人が登場する。そして、それぞれ、夢の内容が変化していく。
その内容はまるで成長する子供みたいだ。僕が何かの課題を解決する度に、また次の課題が出てきましたよと言わんばかりで、僕は新しい内容が加えられた夢を見る。そして夢で起きたことが、現実でもよく起きる。その確率が最近高くなってきた。僕は、それを新しい事件が起きる前兆に違いないと受け取っている。
僕は、世間では、イカイと呼ばれている。ニューヨークのブルックリンに一人でアパートを借りて住んでいる。そして、親しい友人以外には知らせていないが、イスタンブールのシシリ地区にも別の小さな家を持っている。
僕は、電脳空間の中にスペーストンネルを開拓し、そこを秘書ロボットのモリスに通行させた最初の人間ということになっている。現実のロボットと電脳空間のロボットを組み合わせた「新しい身体」を構成して自由に操れるため、僕がモリスと行動を共にすることで、リアル世界と電脳世界の間を自由に往来する技術に長けている。そして、この電脳世界が死者や異星人が存在する五次元世界と通じているために、僕はスペーストンネルにモリスを送りこむことで彼らに会うこともできる。
僕がスペーストンネルを開拓してからも、いろんな事件が起きた。早いものだ。あれから20年以上が経つ。スペーストンネルは、確かに素晴らしい開拓だった。次元についての感覚が根本的に変化し、僕たちの四次元世界に対して五次元世界が存在することが実証された。そして、その大発見により、人間の行動範囲も、人間がつき合う相手も、革命的に変化したからだ。
しかし、新しいロボットやスペーストンネルが人間にもたらしたものは、決してよい事だけではない。僕はその事実を決して忘れていない。今まで存在しなかった信じられないような悲惨な事件が、多数起きている。そして、ますます難しい事件が起き、その深刻さが増している。
新しい発見や新しい発明は、いいことだけではない。 人間の心に予想もしなかった新しい欲望を引き起こし、 新しい対立を人間の世界につくり出したからだ。
ニューヨーク、夜の7時。僕は、さっきまでフジイ博士と、新・国連本部近くのグランドハイアットホテルのロビーで、かなり深刻な打合わせをしていた。 しかし、フジイ博士はいつも明るい。
フジイ博士とのつき合いはもう随分長い。僕の育ての親だ。フジイ博士がいたから、僕はイカイになれた。そこから僕の思いがけない人生がはじまった。それは劇的な変化といえる。フジイ博士は、僕だけでなく、いろんな人間に同じような影響を与えている。
フジイ博士は脳科学者や新・国連の特別顧問として優れているだけではなく、人格的にも穏やかで大変素晴らしい。すぐムキになって怒り出してしまう僕とは違う。フジイ博士にとっては、世界はつねに希望に満ちているようだ。どんなに悲惨な出来事があっても、世界はいつでも希望をもって最初からやり直すことができるという考えだ。
だから、どんな時にもフジイ博士はニコニコしていられるのだろう。新・国連の総長は既に何人も交代したが、フジイ博士の特別顧問という位置だけはずっと変わらない。それだけ絶対的に信頼されているのだ。
そのフジイ博士と、いま打合わせが終わって別れたところ。フジイ博士は奥さんが待っているセントラルパーク近くの家に車で帰った。僕はダウンタウン方面に向って歩きながら、心の中で東京のエリカに話しかけた。
エリカとは第三世代BMIシステムでお互いの脳がつながっているため、モリスを送るまでもなく、いつでも望む時に彼女に話しかけることができる。
「ねぇ、エリカ、僕だけど。もう起きてる?」
すぐにシステムのスイッチが入る小さな音がしたから、エリカはどうやら起きてくれたようだ。
「いまから会いに行きたいけど、家にいてくれる? 君をちゃんと見たい。またやっかいなことが起きそうだ。フジイ博士もこの件は急いだ方がいいと言っている」
エリカが返事をした。しかし眠そうな声だ。エリカは昔から貧血症で、目覚めの機嫌はあまりよくない。
「どうしたの? こんなに早く。東京は朝の7時よ。私はさっき目を覚ましたとこだけど」
よかった。エリカはもう起きている。
「ごめん。どうしても気になることがあってね」
僕はエリカの機嫌が悪くないことを願った。冷静に話したいからだ。
「この間の戦闘のことね? 少しだけなら時間があるわ。1時間後に家を出ないといけないの。9時には会社に着かないと」
よかった。エリカの機嫌は悪くない。
「今日の予定は何なの?」
「朝一番で、ウガンダ政府から会社に大切な来客があるの」
「あぁ、そうか。やっと連絡が来たんだね。それで?」
エリカは今、事業のアフリカ進出を計画している最中だ。
「私たちの秘書ロボットを大量に買いたいと言ってるの。その高官は、ウガンダ北部で続く内戦を終結させるためには通常の武器では限界があることがわかったなんて、いま頃になって言ってるわ。それで、いよいよ日本の最新技術を投入する決断をしたらしい。この商談は私もまとめたい。アフリカへのわが社の入り口になるからよ。あなたが紹介してくれたセネガル政府の話しも面白いけど、あまりうまく行かない。なぜか英語圏から入る方がよさそうね」
アフリカのほぼ中央にあるウガンダは英語圏で、西アフリカに位置するセネガルはフランス語圏だった。
「フランス語では説明しにくい?」
「フランス語でも、秘書ロボットの説明は誰にも簡単。国籍に関係ない。みんなが欲しがるわ。でも脳の話しまで行くと簡単じゃないわね。脳への介入については倫理的に敏感よ。ハードルが高い。特にわが社の技術は半端じゃないから、余計に警戒される。昔から変わってないのよ。フランス語圏は、フランスと同じで、よくも悪くも文化的で、保守的。というか、自分たちのやり方に自信があるのね。慎重で、軽率には動かない。その点英語圏の方がフットワークが軽くて、多少の危ないことなら平気でやるし、失敗も恐れない。私たちの技術にこだわりが少ないみたい」
エリカが何を言っているのかはわかるけど、僕は言った。ウガンダ政府の高官も簡単に信用しない方がいいと思ったから。
「油断しないようにね。わかってると思うけど、背後に変な存在がいないかをちゃんと確かめてね。その高官も、どこまで本気で言っているのか、まだわからないと思うよ」
「それは大丈夫。了解よ。私を信頼してね」
ウガンダはイギリスの植民地だったため、公用語は英語だ。エリート層や若者たちは英語がうまい。でも、アフリカの大地に、ほんとうに倫理の次元までフランス語圏と英語圏の差が浸透しているのかどうか。その点は怪しいものだ。僕は単純な政治的問題のような気がする。ウガンダ国民の多くがキリスト教徒だといっても、それは教会で礼拝がある日曜日が中心のようだし、呪術だってまだ生活の中に生き残っている。一番問題なのは、最近はアフリカにも危険な中東勢力が入り込み、政治情勢が複雑になっていることだ。中国とインドは以前から入り、すでに一定の勢力を獲得している。その点、現在も遅れているのは日本だけなのだ。
「ところで、イカイの用事は何かしら? 話しはテレビ電話じゃダメ? それとも私のサクラを途中まで送ろうか?」
サクラは、僕のモリスと同じで、エリカのロボットの名前だ。エリカと同じ姿をしている。顔もまったく同じだ。エリカとサクラの差は、僕や一部の親しい者にしかわからない。
「それだと間に合わない。例の件で直接君を感じながら相談したい。急ぎたいんだ」
「わかった。それなら待ってる。すぐに来て」
僕は、ニューヨークから東京の世田谷区にあるエリカの家に、スペーストンネルに入れば平均して10分で会いに行ける。もちろんエリカも、スペーストンネルを通って会いに行くのは僕本人ではなく、僕の秘書ロボットのモリスであることは承知している。僕はニューヨークに待機したままだ。モリスもそのことをよく承知して、僕の分身としてふるまう生活に慣れている。だから、僕はモリスを通してエリカを直接感じながら話せる。話せるだけではなく、エリカに触ることも、やろうと思えば何でもできる。僕がエリカの部屋にいるのとほとんど同じなのだ。 急用でない時は、秘書ロボット同士で、サクラとモリスがニューヨークと東京間のどこかでゆっくり会っている。でもその場合は、エリカのスペーストンネル技術がまだ未熟なため、10分では会えない。1時間はかかってしまう。それに、サクラの精度がまだ高くないため、二人の接触も関節的なものになる。今日の用事はそれではうまく行かない。エリカを直接感じながら、エリカの脳と心を検証する必要があるからだ。
2 青の刻印
「僕=モリス」は、スペーストンネルの中を急いだ。
でも、ちょっと早く着きすぎたみたいだ。おしゃれな仮想メガネをかけて僕の到着を確認したエリカが驚いている。
それにしても、こんな形で僕とエリカが話している光景を誰かが見れば、秘書ロボットが登場してまもない20年前なら、特殊撮影の映画の世界と同じだから、誰もが腰を抜かすほど驚いたに違いない。仮想メガネで確認しなければスペーストンネルも、その中の存在であるモリスの姿も人には見えないし、エリカが少しだけ変わったメガネをかけて透明人間とお喋りしているのと同じ光景が展開されているからだ。見た者は、この女は気がふれているとか、夢遊病で独り言を喋ってるとか、或いは一人で女優のまねをしているとか、そんな風に解釈するしかない。
それでも、僕の声がモリスを通して部屋の中でするから、エリカの一人芝居ではないことはすぐにわかる。しかし、その声がどこから来ているかまでは見た者にはわからない。スペーストンネルもその存在は透明だから、せいぜいモリスが到着した時に一瞬だけ部屋に砂ぼこりのようなものが立ったことを感じるだけで、それ以上のことは確認できない。砂ぼこりだってすぐに消えてしまう。
いま実際に出会っているのは、秘書ロボットのモリスとエリカだ。エリカはまだサクラをロボットスーツとして着込んでいないし、姿も見えないので、サクラはまだエリカのベッドで眠りこけているのだろう。エリカの話しではサクラは大の寝ぼすけ。一方の僕は、依然としてニューヨークの路上にいる。こんな状態でも僕とエリカがリアリティをもってお互いの存在を感じ、実際に二人で会って話しているのと同じ感覚になれるのは、BMIシステムで二人の脳がつながっていて、モリスがエリカの脳にも侵入しているからだ。
それにしても、人間はすごい。或いは、すごいのではなく、人間とはいかに早く感性を鈍化させ何事にも慣れてしまう動物か、というべきか? いまでは人びとはこんなことは生活の中の当たり前の光景として見慣れてしまい、不思議とも何とも思わなくなってしまった。
出迎えてくれたエリカが驚いている。まだパジャマ姿のままのエリカが、部屋の時計を見ながら言った。
「えっ! もう来たの? まだ10分も経ってない。8分ね。スペーストンネルの侵入にも全然気づかなかった。音もしなかったわよ。また腕を上げたのね。混んでなかった? 最近はスペーストンネルもよく渋滞してるから」
「僕=モリス」は、エリカの近くに寄っていきながら答えた。
「すごく混んでたよ。でも大丈夫。スペーストンネルの層は自由に選択できるから」
「あなたは上手だからいいわ。私はいつも渋滞の中に閉じ込められる。そこから抜け出す技術がまだないの。空間の新しいレイヤーが見つからなくて大変。お茶を飲む?」
「いつものある?」
愛用のオランダ産カモミール。カモミールはギリシャ語では「大地のリンゴ」。トルコ人のチャイと同じで、僕は一日に10杯は飲む。神経がやわらぐからだ。僕の仕事はストレスが多いから、カモミールは欠かせない。
東京に着いたモリスが飲めば、ニューヨークの僕も飲める。モリスの人工脳が僕の脳にダイレクトにつながっているため、モリスが体験したことはそのまま僕の体験になる。もちろん、それは味だけの体験で、僕の胃に実際に紅茶が注ぎ込まれるわけじゃない。
それでも、こうして僕は、エリカと接し、かなりの精度をもってニューヨークの路上からエリカと接触できている。
「オランダ産のハーブティーね? もちろん。もう何十年も欠かしたことはないわ。あなたは子供だから、いつも同じものばかり好きなのよ。昔からのお気に入り。贅沢をすることを知らないわ。ところで、急ぎの話って例のこと?」
「うん。この間の戦闘」
「メタトロン軍のエダ大佐とは大変だったわね」
「もう結果が出ているはずだから、確かめたい」
エリカも本当は気になっているはずだ。着替えのために寝室に引っ込んだエリカが、大声を上げている。
「ねぇ、エダはいまはどこにいるの?」
「僕=モリス」も居間で大声で答えた。
「それがまた行方不明になってるから不気味なんだ。エダは事件を起こす時には必ず姿を隠す」
「あなたにも居場所を特定できないわけ?」
「エダの心を正確に読むことは僕にも難しい。読める時もある。でも読めない時の方が多い。近くまで接近していないとわからない」
「いまあなたはエダをマークしてるのね?」
「メタトロン軍の最大の要注意人物だからね。一週間前にエダがメタトロン軍の月基地を出たことは、彼女の部下たちの動向から突き止めた。その後どこに行ったのか? 少なくてもメタトロン軍の本部があるイスラエル上空の宇宙ステーションには戻っていない」
エリカが着替えて居間にもどってきた。サクラをロボットスーツとして着込んでいる。エリカは、見かけは若い方だし、相変わらず素敵だ。とにかくセンスがある。もういつでも会社に行ける支度をしている。
「でも、イスラエル上空の宇宙ステーションって、一体メタトロン軍とイスラエルはどんな関係なの? イスラエルはただ支援してるだけ?」
「深い関係があると思うけど、詳しいことは不明のままだ」
「とにかく、エダが宇宙ステーションに戻れば部下たちが動くから、部下たちをスキャンすることでエダの行動も特定できるわ」
「だから警戒して今は部下たちからも姿を隠したんだと思う」
「何してるのかしら?」
「エダが自分が受けた傷を一人で癒しているか、或いは新たな攻撃準備をしているかのどちらかだ。いずれにしても、エダの動向をさぐる必要がある。この間の戦闘でエダの脳も傷つき、内面が変化しているはずだから」
「エダの脳や内面の変化が私の心に痕跡として出てくるのね。それにしても、自分の脳なのに脳マップの変化を自分で読めないとは情けない。あなたにしか判読できないなんて」
エリカは悔しそうだ。でも、仕方ない。脳の解読については、誰だってすぐには上達できないからだ。
「大丈夫。焦らないで。君ももうすぐ読めるようになる。今日調べる箇所は経験を積んだ者でなければわらないよ。それに僕だって自信をもって判読できるのは、この部分だけだ。他の箇所はまだまだわからない」
脳診断については、僕も、しょっちゅう専門家のフジイ博士か、部下の斉藤博士に相談に行く。 最近は個々の診断も難しいケースが増えているし、そもそも心の領域は膨大すぎてその全体像はいまだ誰にもわかっていない。それに、いいのか悪いのか知らないけど、人間の脳は現在も成長を続けているからよけいにやっかいだ。
脳はまったく不思議な生き物だ。心臓や胃とは違う。神経細胞はほっておいても増え続けていくし、投薬や手術によっても神経細胞は増え、脳は変化を繰り返す。それにつれて、心の領域や機能もつねに変化していく。だから脳については、昨日の真理が今日の真理でもあるとはまったく限らない。その判断は柔軟に行われる必要がある。
とにかく、いまでは世界中に脳科学者とその関連の医者が増えている。その数は膨大。昔は、一つの町の中に何軒もの歯医者があった。ひどい時には、通りの向こう側にも別の歯医者があった。それと同じだ。脳を専門に扱う医院が、昔の歯医者なみに存在するようになったわけだ。病院の精神科と共に、この手の医院も医者も、大繁盛で食べることに困らない。それだけ脳診断の需要がうなぎのぼりで増えているからだ。
当然ながら、一方で優秀な脳科学者や医者が輩出すると共に、同じ数だけのインチキ学者やヤボ医者も世に出回ることになる。誰だって、本当は抜く必要がなかった歯を抜かれてしまい、あとで気がついて悔しい思いをした経験をもっているだろう。それと同じだ。ヤボ医者に脳をいじられたら何をされるかわからない。注意が必要、ということだ。
エリカが心配そうな顔になった。
「あなたの方は大丈夫だったの?」
「僕の脳は何の損傷も受けていなかった。その分エダとエダの直近の部下にダメージを与えたはずだ。そしてその反動が君の脳に反映される」
「さすがね。私にはハードな戦いだったから、あなたが心配するのね?」
「だって、君は、たった1分間だけど、完全な昏睡状態に陥ったからね。危なかったんだよ。僕も驚いた」
「不覚だった。私もはじめてよ、1分も意識を失ったなんて。恥ずかしい」
「僕にも意外だった。結局何があったの? 話してもらえる?」
「ずっと思い出したいと思っていた昔の高校生の時の風景が、急に蘇って出てきたの。突然だったから、反省する間も、逆らう間も、なかったの。会いたかった懐かしい友だちの姿が見えた。だから私は彼女を必死で追いかけた。親友だったし、どうしても聞きたいことがあったの。ある日、突然、彼女は奇妙な事故の犠牲になって、死んでしまった。次の日にクラスに来なくて、それで大騒ぎになり、先生が彼女の家に問合わせたことで彼女の死がわかった。もう彼女には会えないし、聞けなくなった。それでついつい。彼女に会えたので、嬉しくなった。油断したのよ。私は戦闘モードを忘れてしまった。知らないうちに回想モードを耽溺していたの。まるで麻薬の中毒患者みたいだった。懐かしくて、すごく気分がよくて。気持ちがよすぎたからとても怖かった」
「それがメタトロン軍の最近の手だ。油断していると簡単に脳に侵入され、改造される。気をつけないとね。次に、同じような目にあって、僕が呼んでも目が覚めないことになったら、それこそ一大事だ。君はエダに乗っ取られてしまう」
いずれにしても、エダたちの技術も進んできた。 ターゲットにする相手の様子を見て、脳の微妙な箇所に介入できるようになった。腕を上げたのだ。
そして、メタトロン軍では、科学リーダーのアジェイが特に危険だ。世界中の悪しき科学者たちの中でも、脳改造の最悪のシナリオを考えている。今回は彼が出てきて陣頭指揮をしている。その背後にいる怪物的な政治家オスマンの動向にも注意する必要がある。オスマンも、世界の潮流に逆行する新・中東王国論を本気で唱えているからだ。今回の戦闘はメタトロン軍の上層部による作戦なのだ。僕たちも慎重に行動しなければならない。
「僕=モリス」が黙っていると、エリカが心配そうに僕の顔をのぞきこんできた。
「私を心配してくれたのね?」
それは当然だ。僕にはエリカはいつまでたっても特別な存在だ。エリカはそれを知っていて、わざと僕に聞いている。
「だって君がやられたら、僕はもっとも大切な相棒を失うことになる。僕は、君がいるから精神のバランスを保っていられる」
「私の代わりは見つからないの? 最近は若い女の新しいタイプもいろいろ登場してるけど」
エリカは僕を試しているのだ。
「残念ながら、それはムリ。永遠に。脳の改造技術がどんなに進んでも、エリカと同じ女だけはつくれない。個性はいつまでも、誰とも違う。僕に必要なのはエリカだけだ」
何と、エリカが僕の女性関係を心配している。この年になっても嫉妬、か。何だか、エリカは昔僕と恋人だった頃に気持ちが戻ってしまったみたいだ。脳に侵入されて、恋愛を感じる部分も一緒に刺激されてしまったのかも知れない。エリカは最近は『電脳恋愛塾』の校長も忙しくやっているから、そっちの関係からも刺激されているのかも知れない。いずれにしても、エリカが心配する種なんて僕にはあり得ないのに。
「あなたに私の代わりの女が見つかったら、私も困る。私も自分の存在価値を失うわ。そんな女が出来るなんて、想像もしたくないわ。私は表向きは頑丈な女社長かも知れないけど、心の中は相変わらず無防備な女のままよ。この年になって、情け無いというべきか、楽しいというべきか、いつも悩むわね」
それは僕だって同じだ。年はたしかに取ったけど、身体改造もかなり実行しているし、心は昔のままで若い。成長した心と、未熟な心が、今も驚くほど平気で同居している。まぁ、それは現代では誰だって同じなんだけど。
「君だって、僕に似た男のタイプに興味があるかい? 似た存在ならいくらでもつくり出せるよ」
「まるで関心がない。私にはあなただけ。私の心はあなたの心とだけつながっている。こういうつながり方は、他ではできない。それで私は幸せと感じてるわ。もちろん、あなた以外にも大切な関係は沢山あるけど、あなたとの関係が一番大切なの」
「僕だって同じだ。僕も君と心がつながっているから幸福なんだ。それで精神が安定している。この幸福は得難い。絶対に無くしたくないよ。僕たちの関係は貴重なんだよ」
「私たちのように愛し合った男と女は、たぶんこの世で私たちが最初ね。私たちは、一時期だったけど、お互いの人格を超えて愛し合ったわ。あなたを失う危険があって苦しい時期もあったけど、何度もいろんな境界を一緒に乗り越えてきた。素晴らしかったわね。そんな経験にはなかなか恵まれない。自我の否定や人格の拡張なんて、口で言うほど簡単じゃない。でも私たちはそれをなし遂げた。それが私の誇りよ」
そうだ。僕たちは大きなドラマを経験してきた。それでエリカは、今でも僕を愛している。僕も同じだ。
「でも、その経験を、いまエダが欲しがっているんだ。他人の心を操作し支配するための彼らの究極の方法を仕上げるためにね。だから、今後のエダたちの作戦の最大のターゲットは君になる可能性が高い」
「でも、愛の経験を盗もうなんて変な話ね。盗めるもんじゃないのに。あなたは手ごわいから私を狙うのね。彼らも進化して最後の一歩手前まで来たということね?」
「そういうことになる。彼らとの戦闘も危険水域に入った。追いつかれたら大変なことになる。彼らは世界中の100億のすべての人間を対象に、その全ての脳を乗っ取る計画だ。途方もないことを実際に考える連中だ。それで新しい人種を創り出せると真剣に考えている。誤解も甚だしい。そんなことが出来るはずがない。しかし、同時に危険極まりない。そんな野望のために、途方もない事件をひき起こす可能性があるからだ。僕たちはそれを未然に防がなければならない」
「私の場合はどうなったら危ないの?」
「それは君もわかっているはずだ」
「僕=モリス」は、確認も含めて、エリカの目を真っ直ぐに見て言った。もちろん、エリカも本当はわかっているはずだが。
君が、私はエダ、と思いはじめた時。
「どういうこと? 何度も同じような経験をしてきたし、今ではそれと同じような経験を人に勧める立場でもあるから、わかってるけど、でも実際にはわからない。だって、私にはエダがどんな特殊な才能をもっているのか、それがまだつかめないからよ」
「エダの場合は、才能じゃないと思うけど」
「それなら何なの?」
「たぶん、憎悪。エダが経験してきたことに関係している」
「どんな経験?」
「それはまだわからない。いずれにしても、エダの目的は、君を乗っ取ること。エダは、君と僕の関係を調べあげて全部知っている。君が、私はエダ、と思ってしまえば、その時エダは君の内部に住み込んでいる。君の秘密を盗むのは簡単だ。そして、僕も君に起きた変化を見破れない時は、彼女は君を通して僕への侵入を開始する」
「あなたがエダに侵入されるなんて、力の関係からしてあり得ない」
「僕は外部の敵には強いよ。でも、心を許している君との関係は別だ。そこから侵入される恐れはある」
「だから私はわからないのよ。他人が私たちの心に侵入するのをわざと許したり、逆に人の心に侵入したり。そんなことは私たちもう何度もやってきたじゃない。それでもどんな時にも不安はなかった。それなのに、なぜエダだけがあなたを不安にさせるの? あなたはなぜエダに怯えるの? 何か特別の感情をもち始めたの? 私にはそれがわからない。私はそれを知りたいの」
エリカはさっきより不安な顔をして僕を見ている。もう紅茶も飲んでいない。
「君の脳を調べてから詳しく説明するよ」
「いいわ。時間がないから手早くしてね。そろそろ会社に行かないといけないわ」
僕はさっそく、エリカの脳に侵入しているモリスにより、言語野・感覚野・運動野などの全体について、彼女の脳マップを参照しながら、エダによる侵入の痕跡の有無を調べた。特に大脳皮質と海馬の記憶層については入念に調べ、細心の注意を払った。
でも、よかった。大した問題はない。大脳皮質にわずかにかすり傷がついているだけだ。海馬にはどんな傷もない。エリカにエダの影はない。重大な欠損はなく、エリカの脳は無事だった。
しかし、念のため、最後にもう一度だけ調べたら、かすり傷がある大脳皮質の記憶層の裏側に、謎めいた青い小さな「刻印」が残されていた。見たこともない「刻印」だ。これは何だ? エダによるものか? 或いは他の勢力によるものか? おそらくはエダによるものだろう。まずはそれを調べなければならない。
それにしても、僕は感じる。エダとの全面対決が近づいていることを。僕の夢もそう告げている。エダは、アジェイや最高指導者・オスマンとは違う。エダは単純にメタトロン軍が掲げる理念を信じているわけじゃない。フジイ博士の親友で同じく『ヒト宇宙化計画』の特別顧問であるサイード・S博士によれば、「エダは悩んでいる」という。サイード・S博士はエダのことを、同じ中東人としてよく知っている。エダは、僕に対しても、時々そういう悩ましげな表情を見せてきた。
だから、僕はエダが気になるのだ。その悩みとは何か? エリカが心配するように、女としてエダが気になっているのではない。僕は、最初はそれはエダの性格によるものと思っていた。しかし、どうやらそうではない。事態はもう少し複雑のようだ。アジェイやオスマンはある意味では「通常の敵」にすぎない。しかし、エダは違う。エダだけが、どうしても僕にもつかみ切れない。なぜなのか?
エダは一体どんな存在なのか? 何を考えているのか? エダが経験したものとは何か? 今後、メタトロン軍との闘争はどういう展開になるのか? 正直いって、現在の段階では僕にも予想がつかない。やっかいなことになるのかも知れない。
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