Strange Story / 5人の死者との奇妙な物語

Prologue / プロローグ
Episode 1: Atsuko’s Death / 第1話 アツコの死
Episode 2: Ana’s Death / 第2話 アナの死
Episode 3: Nami’s Death / 第3話 ナミの死
Episode 4: Kako’s Death / 第4話 カコの死
Episode 5: Yvonne’s Death / 第5話 イボンヌの死
Episode 6: The Dead Appear as Beings in the World of the Living
/ 第6話 死者は生者の世界内存在として登場する

Episode 7: Atsuko’s Story, Music / 第7話 アツコの物語・音楽
Episode 8: Ana’s Story, Dance and Design / 第8話 アナの物語・ダンスとデザイン
Episode 9: Nami’s Story, Book and Internet / 第9話 ナミの物語・本とインターネット
Episode 10: Kako’s Story, Children / 第10話 カコの物語・こども
Episode 11: Yvonne’s Story, Philosophy and Producing
/ 第11話 イボンヌの物語・哲学とプロデュース

Epilogue / エピローグ


Appendix; My Teacher / 付録; 私の先生

…………………………………….

[1]

 僕は「5人」の死者の死ぬ瞬間を覚えている。僕にはその記憶が鮮明にあると友人に言うと、「えっ、覚えている? 自分の体験じゃないのに? 本当? 目撃したの?」と怪訝な顔をされた。確かにその通りだ。僕の体験ではないし、僕が覚えているはずがない。でも、なぜだろう、僕には「5人」についてその記憶がある。それは事実なのだ。だから何かの理由で、あたかも僕の体験でもあるかのように、5人の死の記憶が僕の脳に紛れ込んだのだ。でも、なぜ、僕に? 僕には思い当たるフシがある。「5人」とは、関係していた時期の長短はあったが、それぞれに深い、或いはつよく記憶に残る関係があったからだ。でも、僕に思い当たる節があるとしてもそれだけでは何の証明にもならない。科学的にはその理由も、その過程も、全く不明のままだ。

 桜が満開の春の日。これから生きると覚悟を決めたばかりのアツコが、一人残された病室で白血病で死んだ瞬間。
 蒸し暑い初夏の日。野心に溢れ元気一杯のアナが、僕との打合わせが終わって恋人に会いに行く途中、山道での交通事故で死んだ瞬間。
 太陽が輝く真夏の日。男に捨てられたナミが、極度の鬱になり地下鉄の電車への投身自殺で死んだ瞬間。
 爽やかな秋晴れの日。難病で苦しみ衰えて体重を20㎏まで落とした病身のカコが、水を飲む為に一人でベッドから起きて台所の冷蔵庫に行く途中で倒れて死んだ瞬間。
 雪が降る寒い冬の日。哲学的な閃きで一旦目を覚ましたにも拘わらず、棺に入れられたイボンヌが声も力も出せず、何も出来ないまま墓穴に降ろされて死んだ瞬間。

 僕は、「5人」とも、死ぬ瞬間に、「生きたい」という強い思いで身を焦がしていた事を知っている。その悔しさはどれほどのものだったか。その無念の思いがわかる気がして、その思いは僕に乗り移り僕を悩ませる。

[2]

 僕がこれから書く物語が実際にあった事なのか。或いは単に僕の空想なのか。はっきりとはわからない。しかし、それは僕にはそれほど重要な事ではない。と言うのも、実際にあった事でも空想でも、僕が書き、僕がその物語を充分に体験した事が事実であり、それが重要だからだ。それに僕は最近は、年のせいだが、現実よりも夢の中を生きているような気がしているからだ。夢の中にいるなら、5人がどんな現れ方をしても僕には何の違和感もない。現実に対する感覚が明瞭なら、夢と現実の差はすぐわかる。しかし、現実感覚が曖昧で、夢の中で別の夢を見ている場合には、二つの夢の差はとてもわかりにくい。それは誰にとっても同じだろう。
 という事で、僕は次のような出来事から「5人の死者との奇妙な物語」を始める事にする。

[3]

 それは、僕が東京から熊野に引っ越した2022年10月12日の真夜中の事だった。見上げると空には驚くほど沢山の星が輝いていた。特に北斗七星は大きくて、まるで手を延ばせば届くような近さにあった。思わず僕は「久し振りだ。何年ぶりだろう。こんなキレイな星空を見上げたのは」と呟いた。僕の新しいスタジオの辺り一帯にはまばらにしか家がなく夜はとても暗いので、それで星々が大きく輝いて見えるのだ。
 その夜、アツコとアナとナミとカコとイボンヌの5人が揃って、僕のスタジオの南側の50メートルほど先にある小さな山の竹林を大きく揺らしたのである。僕はベランダのイスに座り、その光景を見ていた。もちろん最初に竹林が揺れ始めた時には、何が起きているのか見当もつかなかった。それが、何と、竹林からアナを先頭に他の4人も空中にゆっくりと飛び出して姿を見せたのだ。まさに壮麗な夜の空中ダンス。僕はかぐや姫が5人も突如目の前に現れたのかと、自分の目を疑った。5人とも、僕が最後に彼女たちに会った時と同じ服を着ていた。これらの服のせいもあり、僕には5人が誰なのかすぐにわかった。ただ、5人とも顔つきは少し変化していた。死者らしく、顔が透き通っていて、全員が不気味な美しさを備えていたと言うべきか。そして、竹林のすぐ手前の空き家の大きな屋根に、驚くほど超スローで揃って降り立った。その時だけ時間の進行が遅くなり、超スローに見えたのかも知れない。屋根の上にはつよい風が吹いているようで、彼女たちの髪の毛も空中に巻き上がり、着ている服もハタハタと揺れている。僕は、魔女たちの集会みたいで恐ろしいと思ったり、またそれにしても何という美しい光景だろうと心から感動していた。
 僕が見とれていると、5人は次に、やはりアナを先頭に、その家の端にある台所か風呂場らしきコンクリートの小さな建物の屋上にゆっくりと飛び移り、さらにそこからシダの葉が一面に纏いついた鉄のステップを順番に降り、そして道路に出て横一列に並んだ。そして僕のスタジオの門まで、幽霊なので少し浮いたままゆっくりと歩いて来て、最後に揃って止まった。その間、どれほどの時間が経ったのか。10分か。20分か。短かった気もする。かなりの時間が経った気もする。明らかに別次元の時間が混じって流れた感じで、僕の脳は痺れたままで、僕は夢見心地になっていた。そうこうするうちに、5人は次に、門を通ってスタジオの庭に入り、5人揃ってスタジオに向かって会釈をし、そこで5人が揃って短いダンスをしたのだ。アナ・ナミ・イボンヌはダンサーでもあったので理解できるが、アツコとカコも。2人はどこでダンスを覚えたのか? 最後に、5人は玄関を通ってスタジオの中に上がり、イスから立ち上がり呆然としたままの僕の前に来て、「約束通り、5人揃って来ましたよ」と全員がニッコリ笑顔をつくって挨拶してくれた。えっ、約束通り? そんな約束をいつしたのだったか? 夢の中で? 5人と? とにかく、急に僕は嬉しくなり、まさに「この時」を待っていたのだと思い当たり、感動のあまり泣き出した。僕は最近は何かあるとすぐに泣くのだ。僕が泣くのを見て、5人も泣き出した。そして、しばらくして僕も含めて全員が泣き疲れた頃、僕は、皆で新しいファミリーをつくろうと提案した。「どう?」と確認すると、5人とも「大賛成。私たちもそのつもりでここに来たのよ」と同意してくれた。そして、5人はこれで最初の目的を果たせたのか、「また1ヶ月後にね。最初はアツコ一人で。そしてアナ・ナミ・カコ・イボンヌの順番で、2024年6月7日のあなたの76才の誕生日までには全員が揃うわ」と不思議な事を言って、あっと言う間に姿を消した。
 新しいファミリーとは? 1人の生者と5人の死者。一体どんな事になるのだろうか。こんな展開は夢に見た事もなければ、想像した事もない。僕の理解を遥かに超えていた。

…………………………………….

[1]

 僕が高校2年生の時だった。僕の家の隣に大きな寺があった。この寺は親友の杉浦君の家だった。季節は1月。冬休みが終わり3学期が始まったばかりの寒い日だった。雪が沢山降っていた。寺の本堂の階段に座り、アツコが寒さに震え、下を向いて泣いている。彼女が学校を休んだ僕を心配して家まで様子を見に来てくれたのに、彼女との別れを決意していた僕が返事をせず居留守を使ったからだ。彼女は僕が家にいる事を知っていた。杉浦君が彼女を見つけたようで、彼が僕の家の窓を叩き「アツコさんが来てるよ。会わないの? 泣いてるよ」と心配そうに言った。彼は僕の家の間取りもよく知っていて、僕の部屋が道に面した窓際にある事も知っていたのでガラス戸を何度も叩いたのだ。それでも僕は聞こえないふりをしていた。5分もすると彼も諦めたみたいで叩くのを止め、その場を去って行った。僕が窓越しに本堂の階段を見ると、彼が何やら彼女に話しかけている。彼女が何度もうんうんと頷いている。そして彼はそのまま寺の中に消えた。彼女は泣いたままだった。
 それからどれほど時間が経っただろう? 30分? 僕が再び窓越しから覗くと彼女の姿が消えていた。寺の境内は空虚に包まれていた。正直僕はホッとした。そして、緊張していた時間が長かったせいか、急につよい眠気に襲われた。僕はそのまま布団に潜り込んで寝てしまったのか? 或いは彼女が去ったのを確認する為に玄関を出て寺の境内に歩いて行ったのか? なぜかその記憶が抜け落ちている。
 僕は気づくと、雪が積もる境内に立っていた。そして、彼女が座っていた本堂の階段辺りに1メートルほどの高さの大きな長方形の水槽がある事に気が付いた。中の水が風もないのに波を立てて揺れている。僕は直感的にその水は彼女の涙に違いないと思った。ものすごい量だ。そして、見る見る間に水槽が3メートルほどの高さに膨張した。そして突然「ドーン」という大きな音を立てて、水槽が破裂した。水槽の水は際限なく溢れ出してきて、窪んだ地形になっていた境内が彼女の涙で大きな池になった。僕は全身を水に吞まれ、その池で泳ぎ始めた。なぜか池は僕の足が底に着かないほど深くなっていた。そして恐怖心から急いで家の中に避難しようした。僕の家は海から自転車で30分ほどの近い距離にあった。僕が家に向かって必死で泳ぎ始めた時、つよい地震が起き、辺り一面が大きく揺れ、見る間に前方の海から巨大な津波が押し寄せて来るのが見えた。何と洪水が発生したのだ。見る間に20メートルほどの巨大な高波になって僕と僕の家に襲いかかって来た。僕は洪水に飲み込まれ、からだをねじ曲げられ、何度も回転し、頭をあちこちに打ち付けられ、息が出来なくなり、気を失った。その後僕がどうなったのか? まるで覚えていない。
 気づいた時、僕は全身を白い包帯で包まれ病院のベットの上に寝ていた。一人だった。意識が戻り、何が起きたのか考えた。両足にはギブスが巻かれ、全身につよい痛みがあり、からだを起こす事が出来ない。全ては僕のせいだ。彼女の涙が大きな池になり、地震を起こし、洪水を呼んだのだ。僕は彼女にそんな力があるとは知らなかった。後悔したけどもう遅かった。地震が彼女の念力によるのか、或いは何か特別な力が働いたのか。或いは単に自然現象か。それは僕にはわからない。いずれにしても、地震は僕が彼女にひどい事をした事に対する因果応報なのだ。そうに違いない。僕はそう理解した。

[2]

 アツコは学校一番か二番の美人で、元気な活動家で、バイオリンが得意な音楽家志望で、いつも歌を歌っているような様子で教室や学校中を飛び跳ねていた。友達も多く、人気者で、学校に数人いる天使たちの内の一人だった。僕は彼女が好きになっていた。僕も、バレーボール部のキャプテンで勉強も出来たので、女子に人気がある方だったと思う。学校では毎年4月になるとクラス替えがあり、僕は幸運にも2年生の進級時に彼女と同じクラスになった。そして、秋になり二学期の最初の日の席替えの時、何と彼女の席は僕の後ろになった。僕は毎日が急に楽しくなった。用もないのに何かと理由をつけて後ろを振り返り、彼女に話しかけていた。彼女は親切で、嫌な顔もせずに僕と対応してくれていた。冬休みがまじかに迫ったある日、僕は授業中に、思い切って、後ろの席に座る彼女に「今度の日曜日、スケートに行かない?」と書いた小さな紙きれを渡した。以前から考えていた事を思い切って実行したのだ。彼女は文面を見てすごく驚いた顔をしていた。そして僕を見た。彼女の目が驚くほどキレイで印象的だった。僕は恥ずかしくなりすぐに前を向いた。僕は彼女との間に小さな空間が出来たのを感じた。その空間が熱くなり、僕の全神経が自分の背中に集中していた。彼女はしばらくして僕の背中を手でつつき、「いいわ」と書いた紙きれを僕に渡した。僕が人生で体験した最初の「天にも昇る思い」だ。これが恋なのだ。彼女も嬉しそうにしていた。彼女はますますキレイな目をして僕を見ていた。

[3]

 アツコ・アナ・ナミ・カコ・イボンヌの5人が、僕の夢の中で揃って僕のスタジオに姿を見せた1ヶ月後の夜。窓を開けると、爽やかな風が吹いていた。竹林も揺れている。遠くで沢山ののら犬が吠える声が聞こえた。なぜか僕は今日は特別な夜になると予感した。5人も「1ヶ月後」と言っていたし、こんな夜には何かが起きる。僕は書きかけの本の原稿の仕上げに入っていて、今それを終わったばかりだった。それで、疲れてイスに座ったままうつらうつらしていた。時計が真夜中の12時を告げた。予感した通り、5人ではなかったが、僕の目の前にアツコが現れた。「一人なの?」と僕が聞くと、彼女は「うん」と頷き、長いモノローグを始めた。僕は黙って聞いていた。
 「あなたが言う通りよ。私も、23才で死ぬなんてとんでもないって思ったわ。早過ぎる。だって私はやっと覚悟が出来たばかりだったから。あなたに捨てられて、私はすごく辛かった。あなたは私をひどい目に遇わせた。私は恋をして、心をあなたに預けたのに、あなたは無防備になった私の心をめちゃくちゃに傷つけた。何とか立ち直るのにも時間がかかった。あなたが私を捨てたのは、高校2年生の冬休みが終わってすぐの日だった。私はその日、あなたの家の隣のお寺で泣いて、帰り道でも泣いて、家に帰ってからももっと泣いて、自分でも驚くほど沢山の涙を流した。あんなに泣いたのは生まれて初めて。よく台風情報で、今日1日で降った大雨はこの地域の例年の1年分の降水量と同じでしたとか言うでしょ? それと同じ。私は1年分の涙を1日で流した。私はその日以来完全に元気を失くし、からだが潤いを失くし、何もする気がなくなった。毎日続けていたバイオリンの練習も止めた。3年生になり成績も急に下がった。友達も親もすごく心配してくれたけど、無駄だった。事情を薄々知っていた親は私に転校を勧めたけど、私はイヤだと言って言う事を聞かなかった。どんなにひどい目に遇っても、あなたから離れるなんて私にはとんでもない事だったから。私は遠くからでも毎日あなたを見ていたかった。あなたが他の女子と楽しそうにしている時も、私はじっと見ていた。高校を卒業してあなたは他県の大学に進み、私は東京の音楽大学に入ったけど、元気がなくて一学期で退学して家に戻ってしまった。それ以来、快活を何とか繕っていたけど、実際には虚ろな毎日だった。反動で私は別の男と付き合って何と欲しかった子供も産んだけど、私はその人を愛する事が出来なかった。全部あなたが原因で、責任はあなたにある。だって、私の心にはいつまでもあなたが住んで居て私を苦しめたから。消えて欲しいのに、早く私の心から出て行って欲しいのに、私はいつまでもあなたが好きだった。その人と別れて子供と二人で暮らすようになってから、ちょうど1ヶ月後。急に私の体調が悪化し、ある日私は意識を失い倒れて救急車で病院に運び込まれた。目を覚ました時ベットの傍に母が居た。母は泣いていた。「どうして泣くの?」と聞くと、母から私の病気は急性の白血病だと知らされた。母はその後も私の世話の為に病室に寝泊まりし、子供は母の家にいて父と祖母が面倒を見てくれているという。信じられなかった。私が、白血病? どうして? 私は小さい時からずっと健康で、風邪で学校を休んだ事も一日もない。そして、その後の展開は急だった。私は入院して4日目にあっけなく死んだから。何と言う死だろう。医者もあまりに早い死に驚いたそうだ。子供にも、親にも、友達にも、あなたにも、何の別れの挨拶も言えないままに」。

 アツコがここで一息ついた。目には涙が一杯で、辛かった体験を思い出しているのだ。
 「でも、思いがけなかったけど、そしてそれを知ったのは私が死んだ日から17年も後の事だけど、私はあなたが私の死にショックを受けている様子を昔のクラスメートから聞いたわ。クラスメートは昨日死んだばかりで、私に会いに来てくれたの。そして、あなたに関する最新情報を持っていると言ったの。私は死後もあなたの事が知りたくてアンテナを張っていたのに、私の活力が極度に落ちていてあなたの情報は入らなかった。17年は生者には長くても、死者には一瞬の時間に過ぎない。だって私はいまでも死んだ時の23才のままだから。もちろん私は、その情報を彼女から聞いた時、あなたの傍に一瞬で飛んで行き、自分の目であなたの様子を確かめた。理由がないとダメだけど、それが出来れば、死者は生者に、生者が死者の訪問を認識できる形で会いに行ける。私はあなたに呼ばれているのがわかり、それで初めて自分から動けたのよ。私があなたの部屋に入った時、私はあなたがビクッと震えたのを見たわ。理由はわからなかったでしょうけど、あなたはその時私を感じたのよ。私があなたの夢の中に登場してあなたも私を確認したので、あなたもその時の事を思い当たるはず。そして、私は、あなたが表紙に『アツコ。僕の永遠の恋人』と書いたノートを机の上に見つけた。私は夢中でそのノートを読んだわ。本当に意外だった。心の底から驚いた。そして嬉しかった。そして泣いたわ。嬉し泣きなんて、私には本当に久しぶり。だって、私があなたの心の中で生きていたなんて。それも年々大きな存在になっていたなんて。信じられないわよね。私は世界を甘く見ていた。だってこんな素敵な出来事が起きるから。全く私の想定外だった。
 いま私は、あなたが私の事で苦しんでくれているお陰で、自分を取り戻す事が出来ている。だからこれからもずっと苦しんでいて欲しい。死者は生きている人にどれほど会いたくても、その人がその死者の事を思っていない限り会えない。誰もがする葬式の時の儀式的な誓いは、昔と違って現在ではまるで役に立たない。あれは免罪符と同じで、今では多くの人は「あなたの事を決して忘れない」と誓った儀式のすぐ後に死者について忘れている。だから死者は会いに行けない。でもあなたは違う。年々、私の事をつよく思ってくれている。だから私はあなたの心に侵入できる。私は今では毎日あなたの隣に座ってあなたを好きなだけ見ている。あなたもそれを感じてくれている。あなたは以前は遠いどこかに向けて私に話しかけていたのに、今ではすぐ傍にいる私に話してくれる。あなたの声は私には全部聴こえる。あなたの涙が私を復活させたの。死者の活力も強弱が激しくてすぐに変わるけど、今私は元気そのもの。霊としての密度はすごく濃くなって充実している。有難う。私は今、世界って何て素敵だろうって感じているわ」

[4]

 彼女の1時間ほど続いた長いモノローグが終わった。聞いていてどんどん嬉しくなった。僕は黙っていられなくなり、思わず口を開いた。
「やり直し出来るけど、どうする?」
 彼女が驚いてじっと僕を見ている。あの時と同じ美しい目だ。僕はこの目に自分の魂を攫われたのだった。
「えっ? 本当に? 夢みたい。二人とも17才の時に戻ってやり直せるの? そんな素晴らしい事があるの?」
「やり直すとしても、君は自分が死んだ23才の時から。僕は現在の76才から。それでもいい?」
 彼女は考えている。思慮深そうな顔になっている。
「年が随分違うわね。でもいいわ。年齢差は問題ない。だって私はもう死んだ人間だし、余剰次元に住んでいてあなたとは触れ合う事もないからあなたが若くなくても関係ない」
「触れ合う方法もあるけどね」
「えっ? ウソ? 触れ合う事も出来るの? そんな事が出来るなんて聞いた事がない。生者と死者は会えるけど、住む空間が違うからすれ違うだけ。そうじゃないの?」
「それが、最近は違う。お互いがお互いの空間に侵入できる。最近開発された方法でまだほとんど誰も知らないけど。死者の世界を構成する物質の解明が僕たちの世界では飛躍的に進歩した」
「凄いわ。触れ合う方法って、一体どんな?」
「聞きたい?」
「もちろん、すごく聞きたい」
「具体的には、君が僕の生者の世界で君にそっくりな女の人に取り憑いて、僕がその人に出会えるなら、可能性はある。そんな人を見つけるのはこれまでは偶然の出会いに頼った稀なケースだったけど、今ではAI利用で可能になる。勿論使用には高度なテクニックが必要だけどね」
「私にはそんな事は出来ないけど」
「心配しないで。それは僕の仕事。僕が見つけて君に知らせる」
「そうなの?」
「憑依は出来るよね?」
「憑依? 憑依は、憑依される事を望む人がいればその人に対して原則出来るわ。死者なら誰でも容易に出来る。あなたの世界では特別に訓練された霊媒の人間にしか出来ないようだけど。もちろん私も出来るはず。試してみる。でもどうやって私があなたと物理的に触れ合う事が出来るの?」
「まず、僕の仕事として、君にそっくりな人で、しかも僕との出会いを無意識につよく望む女の人を見つける。次に、君が彼女に取り憑いて、彼女にここに来るように仕向けて欲しい。僕が君が取り憑いている彼女を見れば、僕は彼女を通じて君に恋をして、君と触れ合う事ができる」
「本当?」
「可能性だけどね。まず、君と瓜二つの人が僕の目の前に現れたら僕がその人を好きになるのは間違いない。でも、彼女が僕を好きになるのはハードルが高い」
「そうね。彼女は私と同じ23才で若い。あなたは76才の老人。彼女があなたを好きになるなんてあり得ない。可能性はゼロね」
「だから、普通の恋ではなくて。もし彼女が僕がやっている研究に強い関心を持っていて、それを必死に探している最中で、僕がその世界の数少ないスペシャリストだとすれば?」
「それならあるかも知れない。恋とは違うけど。今の女は知的探求にも積極的で、必要なものを得る為なら何でもする勇気を持っているから」
「そう、恋とは違う。でも僕には理由は何でもよくて、ただ彼女が僕と一緒に生活するようになればそれでいい。内弟子という方法があるよね?」
「内弟子ね。いいアイデアかも知れない」
「恋に落ちる瞬間と知的開眼の瞬間は似ている。アメリカの最初の女性人類学者の言葉だけど、聞いた事ある?」
「はじめて聞いた。でも、確かにそうかも知れない」
「いま自分が恋の中にいるのか、或いは知的開眼の中にいるのか。その境界が曖昧になる経験なんて素敵だと思わない?」
「素敵だわ。私のような死者にも貴重な体験になるわ」
「僕は面白いと思う。彼女が僕の内弟子になって毎日一緒にいるようになれば、彼女が僕との関係で知的開眼を体験する事は期待できると思う。それに、僕たちがやり直すと言っても、恋だけが目的じゃないよね? そうではなくて、やり遺した仕事を継続する為だよね?」
「確かにそうよ。私にはやり遺した仕事がある。でも、そんな希少価値の女がこの世にいるかしら?」
「まずいない。でもいるかも知れない。それを僕が自分のAI技術で探し出す。これも冒険だよ」
「ものすごく僅かなチャンスに賭けるのね。私があなたの心に私が生きている事を知ったのもほとんど奇蹟だったし。そんな奇蹟に賭けるのも、私たちには相応しいかも知れない」
「やってみようか?」
「やってみましょう」
「楽しみだよ」
「疑問が一つあるわ。でもそれだと、触れ合うのは彼女とあなたで、私とあなたじゃないけど?」
「いや、僕は君に恋して彼女を通して君と交わるわけだから、君も死者の霊として僕が君に興奮しているのを感じるはず。だから、原則、妊娠するとしても、それは彼女だけど、君でもある。彼女と君が仲違いしない限り、問題ない。生まれる子供も独特で、子供は自分には別の親もいるように感じて育つと思う。つまり、この子には彼女と君の二つの魂が宿る事になる。彼女がこの子の母親である事は無論だけど、君もこの子の母親になる。精神医学的にも問題ない。分裂病とは違うから。古来から、一人の人間に複数の魂が宿る事例は沢山あると考えられてきているよね。兎に角、一度トライしてみない?」
「わかった。やってみればわかるわね。まるで聞いた事もない珍しい体験で、挑戦するだけの価値はありそうね。でも、そんな人が見つからない場合は?」
「見つかるまでやろう。僕は諦めないよ。世界には自分とそっくりな人間が2~3人はいるって話し、聞いた事ある? それと同じだ。僕はそれを信じる。君はつよい知的欲求を持っていたし、今もそうだよね。君と瓜二つで、しかも君と同じような知的欲求をもって満たされずに彷徨っている女がこの世にいるかも知れない。いやいるに違いない。彼女も発見されるのを待っているに違いない」
「わかったわ。あなたの信じる力に私も賭けるわ」
「有難う」
「あと、あなたにもっと簡単に毎日会える方法はないのかしら? 私は毎日あなたの前に自分の姿を現して、ずっとあなたの傍にいたい。でもあなたの前に霊として姿を見せるのは大変で、或いは夢の中に出現するだけでも大変なのよ」
「そうなの?」
「すごくエネルギーを使うの。現れる時間の長さに関係するの。こんな事知らなかったでしょ? 今晩もそうだけど、もう2時間もあなたと話してる。これだと私は1ヶ月は休んで静養しないといけない。ベッドから起きられない。次に会えるのも早くて1ヶ月後になると思う」
「それは大変だ。知らなかった。でも、わかった。僕にはいい方法があるよ」
「どんな?」
「1ヶ月後でいいけど、次に現れる時にはその前に合図してくれる?」
「それだけでいいの?」
「それだけで充分。ホログラムは知ってる?」
「知らない」
「情報を空間に実体として投影する技術だよ。死者も情報として扱えるようになっているので、それが霊としての出現でも夢の中の事でも、君さえOKなら君をホログラムとして僕の部屋に登場させる事が出来る。つまり、君がイメージとして僕の脳に現れる時間を利用する最新の技術だよ」
「それは素晴らしい事よ。もちろん私はOK。最近のテクノロジーは凄いのね。でも問題はないの?」
「君に? もちろん問題はない。ただまだ開発中の技術だから、精度が落ちる時もあるけどね」
「テレビの画面が時々チラチラする感じ?」
「まぁ、そんな感じ」
「私はそれで充分よ。活力を保存できるわけだから」

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